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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『未来を花束にして』(監督:サラ・ガヴロン イギリス 2015年)

原題「Suffragetteサフラジェット」
主演 キャリー・マリガン、メリル・ストリープ、ベン・ウイショー、ヘレナ・ボナム・カーター
 サフラジェットとは、女性参政権論者、女性参政権活動家を指す。
 参政権なんて当たり前、女性に参政権があって当たり前と思うが、女性たちが、参政権を手にするのに、こんなに大変だったのだと心底驚いた。
 1912年のイギリスの話。
 何回も何回も投獄され、デモで警官に殴られ、逮捕され、ハンガーストライクをやったら、みんなに押さえつけられ、口や鼻から強制的に食事を摂取させられる。ゲッー、苦しそう。デモで公然と殴られ、何度も何度も、投獄される。10回以上投獄された女性もいる。
 女性参政権運動というと花を持ってパレードするのを見たことがある。もちろん穏健な運動もあったのだが、ここで描かれるのは、女性に参政権をという当たり前のことを獲得するのに、まさに命を賭けて、闘い続けた女性たちの熱い思いと大変な闘いである。
 こんなに!知らなかったとガーンと頭を殴られた感じ。この女性たちの苦難に比べれば、今の私たちの苦労は、相対化して小さく見える。選挙権も被選挙権も持っているわたしたちは、たくさんのことができるじゃないと。
 たかだか100年前にすぎないのに、人間扱いされなかった女性たちのことを考えれば、隔世の感がある。女たちが、参政権を持ってまだ約100年。日本では、1946年に初めて女性たちが行使。71年が経っている。71年もというべきか。いや、わずか100年前、71年前に、女性は、参政権を持っていなかったのである。
 これからである。
 イギリスで、30歳以上の女性が参政権を取得したのは、何と1918年、男性と同じ21歳以上の女性が取得したのは、これまた遅く1928年。ニュージーランドは、1893年。アメリカは、1920年、フランスは、1945年4月30日である。
 長い事、政治は、男のもの。女は、埒外だったのである。女と政治は、いよいよこれからであると言いたくなる。
 そして、この映画の素晴らしいところは、主人公に、労働者の女性を設定したことである。洗濯工場、クリーニング屋で働くモード・ワッツは、24歳。キャリー・マリガンが演じている。洗濯物を届けに行く時に、偶然、サフラジェットの女性たちが、隠し持っていたレンガなどをショーウィンドーにぶつけている場面に遭遇する。驚くモード。
 同じ職場には、サフラジェットで、活動する同僚がいる。女性参政権のことで、公聴会が開かれ、その同僚の女性が発言することになっていた。しかし、その日、彼女の顔は傷だらけ。夫に殴られ、証言できるような状況ではない。突如、ピンチヒッターで、モードが発言する。職場の実態、同じ職場で働く男性との賃金に大きく差があること、劣悪な労働条件なども話す。そう、モードの母親は、同じ職場で、今で言う労災で死亡しているのである。
 「なぜ、証言をしたのか」と国会議員の男性に聞かれ、「違う生き方もあるのではないかと思って」と思わず答えるモード。
 デモに参加し、リーダーであるエメリン・パンクハーストの演説を聞く多くの女性たち。そこには、モードもいる。堂々の貫禄で、さすがメリル・ストリープ。実在のエメリン・パンクハーストの演説が、当時の女性たちを鼓舞したように、鼓舞してくれる。「降伏しないで下さい。闘いを決してあきらめないで下さい。」その通り。
 公聴会では、聞いてくれているように見えた男性の国会議員たち。しかし、投票の結果、女性に参政権を与えることは、否決される。落胆し、怒る女性たち。
 モードは、活動に参加をしていく。夫との間の亀裂。夫は反対なのだ。家から追い出され、最愛の小さな息子にも会えなくなる。女性に親権はないのだ。洗濯工場も首になる。
 どれだけのものを失わなければならなかったのか。どれだけのものを犠牲にしたのか。参政権を女性が得るのに、こんな道のりがあったのか。女性たちが集まり、議論し、作戦を練る。実力行使にもでる。女性たちが、護身術として、忍術を練習する場面も出てくる。
 サフラジェットの映画の主人公に、モードをしたことで、女性参政権運動を上流階級の余裕のある夫人たちの運動として描くのではなく、多くの名もない女性たちの熱い想いや実存を描くものになっている。
 比較することはできないが、この映画を見ながら、メリル・ストリープがマーガレット・サッチャーを演じた「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(2011年)を思い出した。鉄の女が、頑迷固陋な保守党の男性たちの中で、苦労をする場面が出てくる。女性政治家としての苦労が出てくる。あのサッチャーにして。
 しかし、サッチャーが、政治家として行った新自由主義の政策の結果何が起きたのかということは、あまり描かれていない。私にとって、サッチャーというのは、同じ女性として苦労したという面より、あくまでも政治で何をやったかである。女であれば誰でもいいというわけではない.労働者ということは、あまり出てこなかった。
 「未来を花束にして」は、歴史や時代の中で、なかなか記されてこなかった女性労働者と参政権の問題を結びつけたのだ。参政権の運動は、上流階級、余裕のある女性たちだけの運動ではなく、多くの女性たちの苦労と共感によって支えられ、だからこそ参政権の問題は、みんなの問題であり、獲得した後も、みんなの問題なのだと。
 本当に、モードのような女性がいたかどうかはわからない。しかし、モードという女性を主人公にすることで当時の多くの女性たちの状況が良くわかる。
 そして、この映画を見ながら、アメリカ大統領選挙のことも考えていた。なぜヒラリー・クリントンは、負けたのか。エスタブリシュメントと思われた、既得権益だと思われた、新鮮味がないと思われた、健康状態が不安だと思われた、インターネットのサイバー攻撃によるメール問題の再燃などが不利に働いた、アメリカの疲弊と閉塞感からトランプが勝った、いや、投票数は、ヒラリー・クリントンの方が上なので、大統領選挙の選挙制度が問題などいろんな理由が考えられる。
 しかし、アメリカ社会の女性嫌いということもあったのではないか。そして、ヒラリー・クリントンが言った「ガラスの天井を破る」という言葉が、一部の女性たちを鼓舞したが、一部の女性たちには、全く響かなかったということではないか。「ガラスの天井」を破って、女性大統領が誕生することは、それは、ヒラリー・クリントンの成功であって、格差と貧困に苦しむ、今日と明日の生活に汲々とする多くの女性たちにとって、遠く感じる、「ガラスの天井」より、自分の足元の方が、関心があったのではないか。
 なぜ女性が、政治に参画しなければならないか。それは、この社会の男性社会、格差や貧困を変えていくためである。1%のためではなく、99%のための政治をやらなければ、多くの人にとってこの社会は生きにくいのである。
 日本で、シングルマザーの女性の平均年間就労所得は、186万円である。これで子どもを食べさせることができるのか。女性があったり前に働いて、あったり前に子どもを食べさせることができる賃金を得ることが困難な社会なのである。そのことこそ変えるべきである。

 ヒラリー・クリントンには、「みんなの村で」という名著がある。子どもをみんなで、社会で育てようという本である。また、国民皆保険をめざし、それは、オバマケアにつながった。トランプは、このオバマケアを含め、オバマの政策の大半を廃止しようとしている。選挙戦ではヒラリーの社会民主主義的な政策はあまり出てこなかった。
 ヒラリー・クリントンは、「ガラスの天井の打破」ということはもちろんいうべきだ。まだ誕生していない女性大統領を作ろうと呼びかけることは、もちろん大事だ。しかし、同じくらい、それ以上に大事なことがある。何のために大統領になるのか。そして、大統領になることが、日々働く男性、女性の待遇、境遇を変えることにつながるのだという説得がもっと必要だったのではないか。
 女性問題、男女平等は大事。そして、同時に、この世界の格差や貧困を変えることが大事で、それをやるのだというメッセージが弱かったのではないか。サンダースを熱狂的に支持した若者たちのかなりの部分が、ヒラリーを支持したら、もっと変わったのにと思う。
 「未来への花束」は、だから良く考えられた映画である。女権拡張運動にとどまらない現在につながるものが詰まっている。たくさんの女性たちに、エールを送ってくれている。
 参政権を得るのにこんなに苦労したのは、たかだか100年前。日本は71年前。これから、多くの女性たちで、違う社会をつくるぞって。やれることは、この時代に比べれば、たくさんあるよって。
 その意味で、歴史に埋もれていた100年前の女性たちが、耳元で、心の中で、確実に、静かに、熱く、エールを送ってくれる。
 ぜひたくさんの女性、男性に見てもらいたい。
              (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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