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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『顔のないヒトラーたち』(監督:ジュリオ・リッチャレッリ ドイツ 2014年)

 「アイヒマンを追え」の映画見て、「顔のないヒトラーたち」を見たくなった。早速見る。
 社民党員で、ユダヤ人で、強制収容所に送られた経験のあるフリッツ・バウアーは、フランクフルトのある州の検事総長。アイヒマンを捕まえ、刑事裁判にかけることに執念燃やし、実現をする(「アイヒマンを追え」)。
 アイヒマン逮捕と裁判は、「ハンナ・アーレント」の映画でも描かれていた。
 アイヒマンは、ドイツではなく、イスラエルで裁かれる。ドイツでこそ裁かれるべきだ、そのことが、ドイツが、過去に向き合い、未来作っていけることになると考えるバウアーは、がっかりする。
 1950年代後半から、1960年代前半のドイツ。アウシュビッツのことを多くのドイツ人は知らない。強制収容所から生還した人たちは、肉親が殺されたり、壮絶な体験のため語れない、語りたがらない。
 経済成長にみんなの関心があり、過去に触れたくない。ナチスの残党は、いたるところにいるのだ。過去に向き合い、事実を明らかにすることができない。
 バウアーは、若いヨハン・ランドン検察官を起用し、アウシュビッツの蛮行、加害者を裁こうとする。アウシュビッツ裁判である。捜査は困難を極める。カレンダーがあるような生活を強制収容所に入れられた人たちはしていない。また、自分の父親たちを裁くのか、そんなことは意味がない、あるいは、みんな仕方がなかったのだという声に阻まれる。
 ヨハンは、アメリカが膨大なナチスの資料を保存しているところに行く。本当に膨大な資料。ナチスは資料を焼く暇がなかったのだと思った。
 これに対して、日本は、敗戦と占領軍が来るまでの間に時間があり、日本中で、様々な資料は焼かれたのだ。
 アウシュビッツにいたドイツ人は8000人。
 加害者追及と被害者の証言が始まる。様々な犠牲と努力を払って、ようやくアウシュビッツの問題が、ドイツにおける共有認識になるのである。
 このようなすさまじい努力なくして、過去に向き合い、未来を開くことはできなかったのである。
 これに対して日本はどうか。
 日本でも例えば横浜事件がある。
 第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて生じた、雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、拷問が行われ、約30人が有罪となり、4人が獄死した事件である。
 判決は、何と戦後の1945年8月下旬から9月にかけて出されている。約30人が執行猶予付きの有罪判決である。政府関係者は、当時の公判記録を全て焼却した。その後、当時手を下した元特高警察官30人が告訴され、うち3人が有罪となった。しかし、日本国との平和条約発効時の大赦により全員免訴となった。
戦争中の加害行為は、アウシュビッツ裁判のようには、裁かれていない。
 「白ばらの祈り」「アイヒマンを追え」「顔のないヒトラーたち」の映画で描かれている人たちは、極めて困難ななか、歴史のなかで使命を感じ、奮闘をした人たちである。
 もちろん会ったこともない。しかし、歴史のなかで、燦然と輝き、時空を超えて、本当に励ましてくれる。キラキラと光りながら、多くの人たちを、今を、見守ってくれている。
 歴史に向き合うとはどういうことか。歴史のなかで、責任を持って生きるとはどういうことか。とにかく考えつづけながら生きていきたい。
              (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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