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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
「デモクラシー」(作 マイケル・フレイン、演出 ポール・ミラー 主演 鹿賀丈史、市村正親)

 久しぶりに演劇を見に行った。
 ドイツ社会民主党の党首であり、西ドイツ首相であり、東方政策を推進したヴィリー・ブラントと彼の秘書であり、実は、東ドイツのスパイであったギュンター・ギョームの話である。
 ブラントは、側近中の側近が、スパイであったことがわかり、ギュンターが、逮捕された後、辞職に追いこまれる。

 ブラントが、1969年、自由民主党との連立内閣の首相に選ばれてから、1974年に、辞職に追いこまれるまでが、描かれる。

 政治の話だから、わたしにとって、とてつもなく身近であると同時に人間の複雑なところや歴史の制約からくる問題などを感じた。

 そういえば、ブラントの後に首相を努めるシュミットには、日本の社民党の本部で、「社会民主主義とは何か」というタイトルで、講演してもらい、その後、土井たか子さんたちと一緒に食事をしたっけ。

 まず、第1に、思ったことは、東西対立の冷戦構造のなかで、分断されたドイツの痛みである。 ブラントは、それまで、西側諸国にとっては、存在していなかった東ドイツを西ドイツ首相として、初めて訪問する。
 ソ連と条約を結び、東ドイツと条約を結ぶ。そして、ポーランドに行き、アイシュビィツの犠牲者たちの碑の前で、膝まづく。 東方政策をとり、理解と和解の道をとろうと努力をする。
 敵対ではなく、関係をつくり、関係をつくるために必要であれば、きちんと謝罪をする。
 「過去に対して眼をつぶるものは、未来に対しても眼をつぶるものである」といった有名な言葉もある。

 ベルリンの壁の崩壊もそして、東西ドイツの統一もブラントが一番初めに道をつけたものである。

 ブラントと東ドイツのスパイであるギョームの関係も単純ではない。
 ギョームは、必死でブラントを支える。彼がスパイだったから。
 しかし、劇のなかでは、東ドイツ側が、西ドイツの首相が、ブラント以外のたとえばキリスト教民主同盟の首相であるとすると、東ドイツに対して、「敵視」政策になるので困るということも描かれている。
 ブラントが「左翼」だったからこそ、東ドイツとの協調が可能であったことも描かれている。

 東西対立のなかで、大きく理想を掲げ、長い歴史のなかで、和解の道を踏みだしたブラントという政治家の偉大さは、やっぱり胸にしみる。

 ところで、この演劇を見ていて、思いをはせるのは、韓国と北朝鮮のことである。
 ドイツと同じで、分断されているけれど、同じ朝鮮民族で、同じ言葉である。
 金大中さんは、ドイツに行って、なぜ和解と協調、統一が可能だったか学んだ。
 そして、考えてみれば、金大中さん自身国家保安法によって死刑判決を受けたのだ。北のスパイと言われて、死刑判決を受けた人も多い。
 去年の12月、韓国に行ったら、あるリベラルな国会議員が、若いときに、国家保安法で逮捕され、受刑者になったけれども、自宅を捜索したときに、金正日バッチがあったと当時の捜査員が言っていることが、スキャンダルとなっていた。
 リベラルな国会議員、実は、北朝鮮のシンパだったというわけだ。
 その国会議員は、そんなバッチなどなかったと反論していた。
 今、韓国は、国家保安法を廃止するかどうかが、国会のなかで、大きな争点となっている。
 だからこそなのだが、北朝鮮との関係が、攻撃材料になっていることも昔の西ドイツを思い起こさせる。
 そう言えば、今の日本だってそうだ。北のスパイなんていわれたら、本当に大変だ。北朝鮮に甘い、毅然とした態度をとらないということが、激しい攻撃材料に使われる。
 かつてドイツが苦しみ、かつ克服した、東西対立の問題が、ここ北東アジアでは、南北対立という形できっちり残っている。
 わたしたちが、どう克服すべきかという問題が、この演劇のなかに描かれていると思った。金大中さんにもノムヒョンさんにも多くの韓国の国会議員に見てもらいたいと思ったし、韓国で、この劇を上演したら、まさに、今、「デモクラシー」の実験をし、「デモクラシー」をもっと作り上げようとダイナミックに動いている韓国社会で、もっと言うと、政治がもっと国民に身近で、熱い政治好きの社会で、ヒットすると思う。
 でも、最近、多くの韓国の国会議員に会って思うけれど、彼らは、日本社会の北朝鮮に対する強硬経済制裁論に違和感をもち、また、大きな危惧を抱いている。
 彼らは、「協調」でしか生きられないことは、わかっているのだ。
 そうだとすると、むしろこの劇は、まさに日本でこそもっと見られるべきである。
 わたしたちこそ、歴史のなかで、本当の意味で生きているのか。

 第2に、わたし自身ホッとしたことがある。
 それは、ノーベル平和賞をもらい、偉大な政治家ブラントが、悩み、複雑な人間だったということである。

 わたし自身スッキリはっきり政治家をやるというよりも、「これでいいのだろうか」と正直悩みながら、生きている。
 そんな自分に内心ホッとする部分と、もっともっとプロになるべきではないかと自分を叱咤激励する部分と両方である。

 ブラントが、赤ワインに依存し、酒を飲まないではいられなかったようだ。
 劇のなかでは、アルコール依存症とまでは描かれていないけれど。

 そして、鬱になり、何もせずにひきこもってしまうということも描かれる。
 側近たちは、「風邪をひいた」として、発表する。
 ときどき、ブラントは、「風邪をひく」。

 そして、キャンペーンで、鉄道に乗りながら移動し、毎日、毎日、旅をするという人生に疑問を感じたりする。
 買春も含めて、多くの女性たちと性交渉を持つ。みんな恋人ですらない。このあたりは、わたしは、「ブルータスお前もか」とがっくりとなるけれど。

 ブラントは、ナチス・ドイツの時代に、左翼として、亡命をよぎなくされ(数年前に訪れたベルリンのドイツ国会には、殺された社民党員、共産党員のリストと慰霊のための部屋があったと記憶している)、ノルウェーで暮らし、また、多くの名前を使い分け、活動し、生き延びている。

 ドイツの戦前も戦争中も戦後も複雑である。
 戦後、ドイツの街は、どこも瓦礫と化している。
 そして、ポーランド、なかでもアイシュビィツに行って、痛感したけれど、ドイツから、ポーランドを見るのと、ポーランドから、ドイツを見るのとは、全く違う。

 そして、ブラントは、彼自身の活動歴や生い立ち、そして、複雑なドイツのなかで、彼自身複雑な人である。
 悩みを持ち、単純ではない。

 そして、政治のなかでの権力闘争も描かれる。
 社民党のなかでの黒幕であるヘルベルト・ヴェーナーとシュミットは、ブラントを支えると言いながらも、対立をしている。

 連立政権のなかでの暗闘もある。
 連立が壊れそうになりのるか、そるかということも起きる。

 多くの人に支持される政治家でありながら、実は、心を割って話せる人間がいるわけでもなく、ブラントは、「孤独」である。
 しかも最も「忠誠心」を持って働いていると思っていた一番身近な人間が、スパイだったわけだから、ひどい話である。

 ドイツ社民党は、盤石だと思っていたけれど、ブラントは、戦後初めて、数十年ぶりの社民党政権をになっていくわけだし(それを考えると日本の社民党にも本当に可能性があると改めて思えてくる)、東西融合政策を1960年代の終わりから1970年の初頭にかけて、大変困難なことを理想と理念を持ち、思いきってやっていくのであるから、社民党自身も大変であり、ブラント自身も国内外で大変であったと言える。

 まあ、わたしは、一言でいうと、盤石なドイツ社民党(少なくともスウェーデン社民党は、盤石である)と思っていたドイツ社民党もそうではなく、結構手さぐりであり、かつ、歴史的にあまりに偉大で偉い人と思っていた(ブラント首相というと、黒い服を来て、ポーランドで、膝まづく姿と素晴らしい演説を思いだす)政治家が、歴史の流れや拘束のなかで、弱さなども持ちつつ、政治を遂行していたという事実にホッとしたのである。

 わたしたちの仕事は、何を持って成功といい、何をもって失敗というのか、よくわからないこともある。
 決断をしてもしなくても、実行してもしなくても、当たり前だが、賛否両論でる。
 歴史のなかで、時代のなかで、社会のなかで、何をしていくのがまさに問われる。

 精神のバランスをとりつつ、時代のなかを理想と理念をきちんと持ってがんばって生きろと言われている気もするし、自分のなかの複雑な思いにふたをして生きることもないのだと言われているような気もする。
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