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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『ライラの冒険 黄金の羅針盤』(クリス・ワイツ監督 アメリカ 2007年)

 原作フィリップ・ブルマン
 主演ダコタ・ブルー・リチャーズ、ニコール・キッドマン、ダニエル・クレイブ、
    サム・エリオット、エヴァ・グリーン
 ライラの冒険がついに映画化。あの「ロード・オブ・ザ・リング」のニューラインシネマが映画化したのであるから、これはもう胸を高鳴らせて見るしかない。
 舞台は私たちの世界とは似て非なるパラレルワールド。人々はダイモンと呼ばれる守護精霊を常に身近に連れて生きている。ソクラテスは、自分のそばにいつも自分を見守り導くものがあると考えたようだが、それに似ている。自分の魂であり、自分の分身。常にそばにいて、常に語り合っている。ダイモンと切り離されて人は生きていけない。本人が苦しむとダイモンも苦しみ、ダイモンが苦しむと本人も苦しむ。面白いのは、子どものダイモンは常に変化し、大人になるとダイモンは一定なのである。子どもの自我は変わっていくということだろうか。面白い。
 ちなみにインターネットでわたしのダイモンを調べたら、洗い熊だった。

 実は、この世には無数のパラレルワールドが存在をしている。
 昔、昔、学者たちは、パラレルワールドを確かめようと黄金の羅針盤を創り出した。この黄金の羅針盤は、謎を解き明かし、真実を明らかにすることができるのである。
 しかし、教権(権力者)は、人々が別の世界があることを発見しないよう黄金の羅針盤を壊してしまう。しかし、たった一つだけ黄金の羅針盤は残っていたのである。その黄金の羅針盤を読むことができるのは、誰か。

 ライラは、12歳の女の子。とびっきり元気が良くて、自由奔放で、嘘つきで、暴れん坊。ガキ大将というところか。
 ライラの両親は飛行船の事故で亡くなったとされており、ライラは、オックスフォードの学寮で暮らしている。
 町には変な噂がとんでいる。子どもたちがさらわれているということとさらわれた子どもたちは北に連れていかれ、ひどい目にあっているというものである。ライラは、友人のロジャーともしもさらわれたら、お互い必ず助けると固い約束をする。2人はとてつもなく友情にあついのである。

 上流社会で、権勢をふるうコールター夫人が学寮にやってくる。
 ニコール・キッドマンが不気味で美しい夫人を快演している。ぞくっ。コールター夫人は、ライラをロンドンに連れていく。素晴らしいコールター夫人だが、ライラは何か変と思い始める。忍びはいったコールター夫人の部屋で、子どもの誘拐のリストを見つける。何とロジャーも入っている。ひえっ、コールター夫人は、子ども誘拐の総元締めだったのだ。
 逃げ出すライラ。

 ここからライラの冒険が始まる。ライラは、救出のために北へ行けるだろうか。
 国を追われたプリンスであった大白熊のイオレク・バーニソンや気球を扱う紳士などの力を借りて、ライラの冒険が始まる。
 ライラの素晴らしいところは、機転であり、行動力であり、正義感であり、必要があれば嘘をついて騙すことができる能力であり、そしてとびっきりの勇気と友情にあついところである。
 この嘘をつくというのが素晴らしい。嘘をつくファンタジーの主人公なんて見たことないよ。
 「風の谷のナウシカ」は、宮崎駿監督の最高傑作である。女の子がこの世のなかを救うのである。環境・共生・正義の実現など素晴らしく大事なことをみずみずしく語っている。日本が世界に誇るアニメであると思う。ライラと風の谷のナウシカは、似ているところもある。運命の女の子であるということ、世界を救うこと、身軽で行動的で、勇気があって、素晴らしい。しかし、最も違うところは、ナウシカは嘘をつかないが、ライラはつくということである。わたしは、この嘘をつくということにびっくりした。

 なんでもかんでも嘘をつくというのではない。危機を突破するのに嘘をつくのである。 ライラは、熊の王が子どもたちがいなくなるのに関与していると思い、熊の王に会いに行く。どうするのか。

 ここでライラは、賭けに出る。
 自分はダイモンだと熊の王に言うライラ。人間になりたくてなりたくて仕方のない白熊の王は、従って、ダイモンが欲しくてたまらない。人間しかダイモンを持たないからである。白熊の王はライラを殺そうとするが、ライラは、「わたしがいなくなったら、あなたはダイモンをなくすのだ」と脅す。白熊の王の心を繰り、騙そうとするのである。2人の対決は、まさに息をのむシーンである。

 さすが。

 「弱いもの」は、権力や強いものに対して闘うときに、すっぽんぽんのぽんの丸裸になるのではなく、隠すものは隠し、嘘をつくべきときは嘘をつき、危機を逃れろということである。レジスタンスの思想というべきか。
 ファンタジーの主人公で、こんな感じで嘘をつく主人公は稀ではないか。「清く、正しく、美しく」でないところがいい。嘘をつかない子どもの主人公は、大人にとって安心である。騙されたりしないし、大人から見て素直。ライラはそうではない。大人がてこずるのである。そこがこのヒロインのすごいところだ。

 コールター夫人とまた対決するシーンがある。
 ここで、コールター夫人は、ライラの出生について明らかにする。普通は、ここでしんみりするところだろうが、そんなことはない。これまた、コールター夫人の裏をかいて逃げ出すのである。
 あっぱれ。どんどん逃げろといいたくなる。

 白熊に乗って駆けていくライラは、実に楽しそうだ。危険に突入していくのだから、悲愴な顔をしていると思い気や晴れ晴れと楽しそうな笑顔である。楽しいという顔である。わたしもこういう人になりたい。
 宮崎駿監督の「隣のトトロ」の猫バスやミハエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」のファルコンのように、この白熊に乗って走るのは、実に楽しそうだ。誰だって乗りたくなるだろう。

 まだまだライラの冒険は続く。とてつもない勇気と機転に乾杯!

 この映画は、権力者(この場合は、教権であり、独裁者たちだが)が、人々に別の世界があり、別の価値観があることを教えない、知らせないようにしているということが重要である。
 「アナザー・ワールド イズ ポッシブル」つまり、別の世界は可能であり、別の世界は存在もしているのである。権力は、別の世界があることを人々が知ることを完全に阻止し、この社会に順応するしかないように教え込む。
 世界の解釈について、権力だけが解釈し、他の解釈を許さないし、真実発見もさせないのである。
 嘘で塗り固めた虚偽の世界。
 ライラの嘘のことを書いたが、ライラの嘘は、生きるための、殺されないための知恵の嘘であり、権力者たちが、すさまじい「暴力」も使って塗り固めている嘘とは、全く違う。

 パラレルワールドがあると学者も子どもたちも人々も思うことができるのである。

 一元的な価値しか認めないか、多元的な価値を認めるかの対決でもある。一元的な価値しか認めない世界の何と狭量なことか。パラレルワールドがあることを必死で隠している。
 そして、大事なことは子どもたちが、権力にとって大事なのである。子どもたちをコントロールすれば、未来を制することができる。
 わたしは、ここで教育基本法改悪法のことを思った。

 「ダークエンジェル」は、「国家」が子どもたちを遺伝子操作し、親に帰属せず、「国家」に帰属する子どもたちを作ろうとしていた。その研究所から、遺伝子操作されて作られた子どもたちが、自由のために逃走をするのである。

 国家が、権力が、子どもたちを直接支配し、実験に使おうとしている恐ろしさを「ダークエンジェル」も「ライラの冒険」も描いている。

 「ライラの冒険」のほうは、のんきな飛行船が出てきたり、空飛ぶ魔女が出てきたりして、楽しい。

 ところで、いろんな人がその人なりの携帯電話を肌身離さず持っていることをふと思い出した。
 今や、人々にとって携帯電話がその人のダイモン?!
                    (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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