判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『プラダを着た悪魔』(デヴィッド・フランケル監督 アメリカ 2006年)

 主演メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ
 ファッション雑誌「ヴォ−グ」のカリスマ編集長アナ・ウィンターがモデルと言われているが、すご腕の編集長ミランダをメリル・ストリープが、これまた快演。
 カリスマ編集長と彼女の第2秘書に就職する若い女性アンディ(アン・ハサウェイ)の2人の働く女の話である。
 秘書は、歴代の秘書の名前をとって、エミリーと呼ばれたりする。なんと言ってもミランダの人使いが荒く、みんな続かないのである。

 アンディは、実は、ジャーナリスト志望。
 大学時代に賞をとったりした、優秀な女性。
 しかし、お洒落には全く興味がない。
 このお洒落な雑誌に就職しようとしたのも、ここで、少し修行をして、ステップアップしようと考えたからである。
 「頭のいい子」を採用してみようというミランダの気まぐれで、彼女は第2秘書に採用される。
 ださださのブルーのセーターを着て、ださださのスカートをはいて、どた靴をはいていたファッションに一切興味のなかった女性が、ピンヒールで、大理石の上を歩き、洒落た格好で働く人たちのなかで、実はどんどん変わっていく。
 ファッションがなんたって素敵。
 服と靴と帽子とバックとアクセサリーと。
 職場の人のアドバイスでみるみる変わっていくので、それは、オードリー・へップバーンの「マイフェアレディー」かジュリア・ロバーツの「プリティー・ウーマン」みたいな感じだ。
 信じられないくらいダサイ女の子が、お洒落になっていく。

 そして、わたしは、この映画を働く女の映画と見た。
 若い女性とベテランのトップの女性。
 世代と境遇を全く異にする2人の女。
 でも、若い頃のわたしは、アンディに共感をしただろうけれど、今は、自分とミランダと自分をどこか重ね合わせて見ている。
 一人の女の人生の若いときとベテランのときの両方を描いているとも言える。

 「ワーキング・ガール」という映画があった。
 ノン・キャリアのガムシャラにがんばる女性(メラニー・グリフィス)と上司のキャリアウーマン(シガニー・ウィーバー)を描いている。職場のなかのセクシュアル・ハラスメントも描かれている。
 上司がスキー事故で入院中に彼女の留守を守っているうちに、上司のポジションで仕事をするようになり、そして、上司の恋人(ハリソン・フォード)とも恋愛に陥ってしまう。
 この映画は、ガムシャラにがんばる女性がとってもかわいくて、また、セクシュアル・ハラスメントをうまくエピソードとして、まぶしたりして、面白い映画だった。何と言っても、職場が舞台で、女が働くことを真正面からとりあげた映画は、意外と少ないから。
 しかし、この「ワーキング・ガール」は、女の対立と男という三角関係を描いているものであり、上司は実はさしみのつまだったのである。
 構図としては、若いノン・キャリアのガムシャラにがんばるかわいい女とキャリアだけど、冷たくて、魅力のない女は、対立の構造で描かれていた。現に、グラマーな女対ガリガリのシガニー・ウィーバーという構図だった。
 わたしは、もちろん若い女性のほうに感情移入して、映画を見ていた。ガンバレ!って。
 この「ワーキング・ガール」では、仕事の勝利者が、恋愛の勝利者にもなった。

 わたしは、「プラダを着た悪魔」の映画を見ながら、「ワーキング・ガール」と比較し、働く女性の描き方の進化を思った。
 2人の女は、対立をさせられているわけではない。

 そして、わたしが思ったのは、上司の女性の描き方である。
 彼女は、とにかくすご腕で、彼女の一挙手一投足にみんなピリピリしている。パリコレクションでは、彼女が登場をすると人垣ができ、カメラのフラッシュがたかれる。雑誌作りの編集会議では、びしびしと意見を言い、みんなそれに耳を傾ける。
 「泣く子も黙る」というか、恐ろしいというか。
 そして、秘書に対しては無理難題を言う。
 小さな双子の子どものために、ハリー・ポッターの次作を持って来てなんて秘書に言うのである。
 まあ、このあたりは、戯画化されているのだが。
 アンディは、知り合ったプレイボーイのジャーナリストに連絡をして、彼に頼む。結局、彼は、知りあいの装丁家から、本になる前のゲラを手に入れ、アンディに渡してくれる。

 わたしの心に迫ってきたのは、ミランダの私生活のほうである。
 会社では、トップの彼女も小さな双子の子どもの母親である。
 フロリダに出張で行ったとき、大嵐になり、ニューヨークに帰る飛行機が欠航になる。さてさて、明日は、子どものピアノの発表会。何としても今日中に、ニューヨークに帰りたいミランダ。秘書に電話をして、「飛行機を何とかして!」と無理難題を言う。「軍用機でも出してもらうか。」という冗談が出るくらい。
 部屋で、「何とかして!」と叫ぶミランダ。

 わたしは子どもが小さいときは、極力地方に泊まらなかった。泊まらなくてすむようにスケジュールを組んだ。泊まらなければならないスケジュールは、実は断った。あらかじめわかっている海外旅行などは、別にして、夜遅く帰っても、せめて朝、子どもと話ができるようにしてきた。
 あれは富山空港だったか、来るべき飛行機が悪天候のため来ず、予定どおり飛行機が飛ばないということになった。空港で、ひとりであちこちに電話をしまくって、鉄道ではどうか、ほかの手段はないか、必死にやったことを思い出した。「飛行機よ、飛んでくれ!」という感じだった。
 結局、そのときは、最終便が、何とか飛んで、その最終便への振り替えに何とか成功をして、わたしはその日に帰ることができた。そんなときのジリジリした焼き切れるような感情!飛行機に乗れば、そんなこともまた全部忘れてしまうが。

 子どもを持つ働く女は、多かれ少なかれそんな経験をして、そんな神経が焼き切れるような思いを味わってきたのではないか。
 やり手の男の人は、仕事に打ち込んで、家庭を省みなくても、そのことを社会的に批判されたりしないだろうけれど。
 それは、まだまだ大きな違いではないだろうか。

 アンディが、書類をミランダの自宅に届けたときに、ミランダと夫の口論を聞いてしまう。夫は、レストランで、長い間、待ちぼうけを食らわせられたことについて、「みっともなかった。」という感じで、ミランダに文句を言う。「携帯の電波が届かないところにいたのよ。」と弁解をするミランダ。
 会社ではトップでカリスマ性を持ち、威厳を持つ彼女が、家のなかでは、夫に気を使い、下手に出ている。「ごめんなさい。」と。

 初めて行ったパリのコレクションの日々、アンディは、ホテルの部屋で、涙を流すミランダを見る。
 ぐったりとソファーに座り、全くのすっぴんで、疲れて、悲しそうなミランダ。「強い女」ではない。
 夫と離婚になったのである。
 何度目かの離婚で、ミランダは言う。
 「マスコミは、書き立てるわ。『雪の女王(スノー・クイーン)』、夫を追い出すと。わたしはいい。しかし、子どもがかわいそう。」と涙を流す。
 公私の間のアンバランス。

 アンディの方も仕事が忙がしすぎて、また、華やかで、バブリーなファッションの世界で働くようになって、同居していた彼氏との間で危機を迎える。
 「私生活が危機ということは、もうすぐビジネスで成功をすることだ。」と慰めてくれる会社の男性上司。

 わたしの友人で、彼氏が、部屋で、料理を作り、おいしいワインをきりりと冷やし、待っていてくれていたにもかかわらず、「もうちょっとで書面が書き終わる。あっ、もうちょっとで書面が書き終わるとずーっと待ちぼうけを食らわせ、別れてしまった人がいたっけ。優しい彼氏もついに堪忍袋の緒が切れたという感じになったのだろう。
 うーん。働く女は、難しい。
 男だって、難しいけれど、公私の関係は、やっぱりまだまだ女性のほうが、難しいだろう。女性は、家庭を大事にして当たり前、男性は、家庭を大事にする人は、本当に素晴らしいとなるわけで、なんか挙証責任が転換をしている感じだ。当たり前が違う。

 アンディは、結局、初志貫徹で、ジャーナリストになる。
 すると、あらら、ファッションで、黒のパンツルックで、上から見ても下から見ても、行動をする記者という感じで、質素になる。

 不意にやめてしまったアンディに対して、ミランダは再就職先に推薦状を書く。
 これは、やっぱりシスターフッド。
 女がやっぱり女を応援をするのである。

 映画を見ながら、「デブラ・ウィンガ−をさがして」と言う映画を思い出した。
 数多くの女優さんにインタビューをして、働く苦労や年をとっていくこと、映画づくりのときの扱われ方について聞いていくのである。
 長くロケにはいるときに、子どもが泣きじゃくるって悲しかったという話には胸が痛くなったし、ヌードシーンやベッドシーンの撮影のときには、日頃は来ない映画会社のお偉いさんがなぜか撮影現場に来るという話、ダイエットを迫られるとか、年をとると役柄が限定される悩みなど、みんながあけすけに、率直に語っていく。
 女優という特殊な職業だけれど、やはり働く生きる女たちの話で、身につまされる部分がある。

 メリル・ストリープの映画は、ほとんど見てきた。
 いろんな役柄を実にいろいろ演じている。
 メリル・ストリープは、不滅であるという気になる。
 それで、「デブラ・ウィンガーをさがして」の映画と合わせて勝手に言うと、「若さ」と「美しさ」を売りにしている女優は、年をとるにつれ、シビアになり、そうではなく演技や存在感や別のものも持っている女優は、年をとっても、いろんな役を演じられると。

 「輝ける女たち」のカトリーヌ・ドヌーブは、堂々たる素敵なマダムぶりだった。
 「恋愛適齢期」などの大好きなダイアン・キートンは、ずーっとキュートでかわいくて、年をとってもかわいいということを感じさせてくれる。
 かっこよかったジェーン・フォンダは、もちろん若いときは、美貌で売ったけれど、映画への愛情を持ち続け、年を重ねても、やはりかっこいい。
 「エリザベス」などで、抜群の演技力を誇るケイト・ブランシェットは、ポストメリル・ストリープか。
 年をとっていくことが、恐くなくなる。

 アンチ・エイジングということが言われるし、間違いなく高齢社会である。
 年齢を重ねてかっこいい男の人は一杯いるし、「色男、金と力はなかりけり」ではないけれど、年を重ねるにつれ、別のものを確実に得ていく男の人たちはいる。経験も知恵も知識も年を重ねてこそである。
 そして、女性たちも「若くて、美しくて、経験がない」ということだけではない何かをためていき、それが魅力にもなっていく時代にもなっている。

 「プラダを着た悪魔」は、いろんなことが戯画化されている楽しい映画でもあるけれど、「働く女は、根性入れて、とことんがんばれ!」という映画である。
                    (福島みずほのHPより一部変更して転載)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK