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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
「愛しのローズマリー」(監督:ボビー・ファレリ/ピーター・ファレリ−・2001年・ドイツ=アメリカ)

 「キューティ・ブロンド」と同じくキャハハと笑いながら見れる映画。「キューティ・ブロンド」のヒロインのピンクのイメージと「愛しのローズマリー」のヒロインのピンクがだぶってくる。
 しかし、複雑な気持ちにもなる。
 「愛しのローズマリー」は、イケてる美人の女性が大好きな主人公の男性が、催眠術にかけられ、心のきれいな女性が美人に見えてくるようになったことから起きるドタバタ劇である。男性もハンサムに見えてしまう人が出てくるのだが。。
 今現実にある世界が、ある出来事が起きてしまって一変し、違う世界が見えてくるということは、突然女性の本音が聞こえてくるようになった男性の困惑と発見を描いたマイケル・ダグラス主演の「ハート・オブ・ウーマン」の映画の手法にも似ている。
 主人公の男性は、とってもきれいな女性に恋をする。しかし、彼女は、実はお相撲さん以上に太っている女性だったのだ。「どうして彼女に?」というまわりの困惑と驚きをよそに、彼は夢中になる。
 彼女がレストランで椅子に座ると椅子が壊れてしまうが・・・。
 ところが、彼の催眠術がとけてしまう。
 彼女から逃げ出す彼。
 しかし、彼は、他の美人の女性に誘われて食事をしてもつまらない。
 「外目」ではなく、一緒に長く生きていける彼女と生きようと決心をして彼女のもとにやってくる彼・・・。
 この映画を見ていると、男性たちが言う命題(というか言われている命題というべきか)、「性格の悪い美人」か「性格のいいブス」かということを思い出す。「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」という言葉もあったっけ。
 これって、女性から言うと「金のないいい男」か「金のある醜男」かという命題になるのかなあ。
 「色男、金と力はなかりけり」という言葉もあるもんね。
 「キャハハ」と楽しい映画なのだけど、相変わらず女性がきれいか、きたないかということばかり着目されることはシンドイな。もちろんこの映画は、「女は姿だ」ということを楽しく笑いとばしているのだけれどね。
 「永遠に美しく」というゴールデン・ホーン、メリル・ストリープ主演のコメディーも思い出す。
 感じがいいかどうかっていろんな要素がはいってくるし、表情や性格、一緒にいて楽しいか、話の内容などすべてがはいってくると思うけどな。
 変な言い方だけど、私自身、そして多分多くの女性がそうだと思うけれど、女友だちに関しては、その人が美人かどうかは全く関係ない。
 感じいい、感じ悪いということは気になるけどね。
 「あの人、美人だね」と他の人に言われて、「そうか、ああいうのが美人なのだ」と改めて気づく。美人かどうかということより他のことに感心があるのだ。
 化粧や服装や髪型によってもずい分違ってくるし。
 私は、女優さんやタレントの人たちを観察していて、「女優さんとは、美人であるというのではなく、美人に装える人のことなのだ・・・」と思うようになった。
 それぞれが個性じゃない、と思う。
 それにつけてもこの映画でも主人公の男性の友人が出てくる。「あんなブスとはつき合うな」という友人である。
 他の男たちから自分の彼女がどう見られているかということが重要だということのカリカチャアでもあろう。そう言えば、「ボクの彼女は、歩けばみんなが振りかえるような美人だ」という男の人はいるもんね。みんなが羨ましがる車を持っているという感覚に近いかなあ。
 男の人が評価される地位、力、能力、肩書、学歴、資力などは、すぐ外からは見えない。
 名刺をもらってこっちだって「おおお、そんなエライ人だったのか」と思うこともある(少し冗談)。外見からは全くそう見えないということだってあるけれど。外見ばっかりで何か言われ続ける女の一生もシンドイよ。
 こんな映画が昔話になればいいなあ、まあ楽しい映画だったけれど。
 それにつけても「キューティ・ブロンド」といい「愛しのローズマリー」といい既視感(デジャブ)が漂う。昔読んだ少女マンガなのだ。外見は少々難あり(?)でも心のきれいな女性が勝利するのよというお話。「マイ フェア レディ」は、少々難ありの外見をなかみも含めて変えちゃう話だけれど。

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