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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
「ザ・インタープリター」(シドニー・ポラック監督/二コール・キッドマン、ショーン・ペン主演/アメリカ/2005年)

 二コール・キッドマンが、国連の通訳を演じている。彼女は、全く偶然からアフリカのある国の大統領の暗殺計画を耳にしてしまう。彼女の警備をショーン・ペンが担当する。
 その大統領は、かつては、希望の星だったが、権力者になって、すっかり変わり、独裁者になっている。大量虐殺をやっている。
 そういう虐殺に関して、わたしたちは、何ができるのか。紛争におけるリストラティブ・ジャスティス(修復的司法、回復的司法)、復讐と癒しがテーマである。
 本当にあるかどうか知らないけれども、アフリカのある習慣が、映画のなかで、紹介される。
 人を殺した犯人は、1年間刑を受ける。その後、手足を縛って泳げないようにして、船の上から突き落とす。殺された人の遺族は、そのまま見過ごして、助けないこともできる。その人間は死ぬのだ。そして、遺族は、一生喪に服さなければならない。これに対して、助けることを選んだ遺族は、一生喪に服さなくてもいいのである。
 犯罪と刑罰、どうやって罪を償わせるのか、遺族の癒しはどうすれば、可能なのか・・・ということを考える。
 大量虐殺が行われたとき、大量虐殺があったと疑われるとき、何をすべきだろうか。
 この映画では、独裁者の暗殺計画も反対者のリーダーを殺すテロも反対運動も復讐も描かれる。
 南アフリカに行ったときに、真相究明と和解委員会の委員の人に会った。アパルトヘイトにおける虐殺についての真相究明と和解が委員会に委ねられたのである。
 委員会の委員は、この委員会における問題点を指摘した。しかし、すざましい虐待などが起こったときに、それをどう社会のなかで、解決するのかということのヒントがあると考える。
 ネルソン・マンデラさんは、大変尊敬している政治家である。27年間獄中にあって、闘士でありつづけ、人間性も優しさも政治的なリアリティーも失わなかったということに、感動する。
 そして、アパルトヘイトが廃止され、白人政府から黒人政府に転換するときに、報復をしなかったということは、大きいのではないだろうか。
 南アフリカ共和国は、死刑も廃止した。「死刑を復活すべきだ」というステッカーを車に張っている人を南アで見たけれども。
 そう言えば、ポルポト政権の大量虐殺の後、カンボジアも死刑を廃止した。
 南アには、様々な問題がある。
 しかし、大量虐殺の問題をどうとりあげ、向き合い、真相究明し、和解と癒しを実現していくのかということの試みがなされている。
 これは、いつまでもいつまでも真相究明の入り口にすら到達できない日本は、おおいに学ぶべきである。
 この映画のなかで、大統領については、暗殺ではなく、殺害ではなく、国際刑事裁判所(ICC)にかけるべきであるという提案が出てくる。
 今、常設の国際刑事裁判所は、存在していない。ユーゴやルワンダで、特別の刑事裁判所は設けられたが、常設の国際刑事裁判所はまだ、設置されていない。
 1998年に設立条約が採択された。2005年5月3日の段階で、93カ国が、批准をしている。なんとアメリカと日本は、批准していない。わたしは、国際刑事裁判所の設立に努力をしたい。どんなにまどろっこしくても、武力の行使ではなく、「法の支配」で問題を解決すべきなのだ。
 難しいし、どうするのかといわれそうだけれど、9・11テロの後、なされるべきは、アフガニスタンやイラクへの武力行使ではなく、法の支配にのっとった国際刑事裁判所での審理であったはずだ。
 フセインが大量虐殺を行った、大量破壊兵器を持っていると言われて、武力攻撃を行い、殺された何万人もの人たちは、一体どうなるのだと思う。武力攻撃は、なされるべきではなかったのだ。
 この映画は、良質な娯楽反戦映画である。「追憶」をとった監督の優しさは、健在である。
 ところで、ジェンダーの視点で思ったこと。
 二コール・キッドマンは、夫であったトム・クルーズよりも背が高く、長身である。これに対して、マドンナの夫であったショーン・ペンは、おそらく二コール・キッドマンよりも背が低いのだ。
 「カサブランカ」の映画をとるとき、スウェーデン出身のイングリット・バーグマンは、ハンフリー・ボガードよりも背が高かったために、ハンフリー・ホガードは、台を使っていたのである。
 ダスティ・ホフマンが、共演の女性とダンスをするとき、背は、低かったけれどな。
 この映画を見ると、2人とも同じ立場で、立っているシーンは、少ない。最後のシーンても、ショーン・ペンは、座っていて、二コール・キッドマンは、立っている。
 この一方が、立っていて、他方が、座っているか、2人とも座っているシーンが多い。
 出会いのシーンも、こっちから歩いてきて、向こうで、出迎えるとシーンになっている。
 うーん。
 バレリーナが、重くなったことを理由に、ボリショイバレエ団は、彼女を首にした。裁判では、彼女は、勝訴したと報道されている。男性のバレリーナが、女性をもちあげなきゃというのも大変だな。
 それと一緒で、映画においても男優と女優の身長は、撮るのに、工夫しなければならないテーマなのだ。
 ジェーン・フォンダとロバート・レッドフォードの2人の映画「出逢い」を見たときを思った。ジェーン・フォンダは、「のっぽ物語」に出たように、のっぽだもの。このとり方、工夫しているなあって。
 テレビでもそうだ。カッコいい男性タレントが、長身でない人もいる。テレビ局の女性アナウンサーで、背が高い人もいる。2人で、番組を仕切るときに、横に並ばないのだ。
 男と女がいるときに、男の方が、低くてはいけないっていうのは、21世紀になってもまだ克服されていないのだ。
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