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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
Shall We Dance?(ピーター・チェルソム監督/2004年/アメリカ/主演リチャード・ギア、ジェ二ファー・ロペス、スーザン・サランドン)

 以前、周防正行監督のオリジナルを見た。
 アメリカ映画のほうは、肩が凝らず楽しめますという感じ。
 日本映画の描き方の違いを思った。
 「シカゴ」で、タップダンスを披露したリチャード・ギアは、日本版では、役所広司が、しがないサラリーマンを演じていたのに対し、やっぱりどこかカッコイイ。
 あなた、別にダンスをやらなくてももてるでしょうし、人生に退屈なんてしないでしょと言いたくなる。
 「アメリカン・ジゴロ」や「愛と青春の旅立ち」「コットンクラブ」「プリティー・ウーマン」のイメージが強い。
 また、普通ダンスなんてやらない日本人がやらないからこそ、ダンスをやっていることを職場の人間に隠すのだ。
 華やかな発表の場が少ないからこそ、ダンスコンクールの華やかな場面が映えるのだ。
 アメリカだとなあという感じ。
 また、ダンス教師を演ずる草刈民代さんは、清楚で、かつ心の傷のため、憂いをもって窓辺に立ち続けるというのが、合っていたけれど、ジェ二ファー・ロペスは、どこか肉感的で、ずーっと憂いをもって立ち続けるというイメージではない。
 また、日本版の妻は、主婦で、控えめで、エプロンが似合うという感じで描かれている。「女」という感じはない。
 しかし、アメリカ版では、妻は、探偵と話をするときに、こっちがどきっとするくらい胸があいていて、胸が見えちゃうという雰囲気である。「女、女」しているのである。そして、働く女性として、描かれ、仕事で遅くなったり、会社で、同僚の離婚の悩みに付き合ったりしている。
 アメリカ版では、最後に、リチャード・ギアが、妻の職場に一輪のバラの花を持って、会いに行く。
 そこで、2人は、踊るのである。
 また、最後の最後の場面では、やはり2人は、台所で、寄り添って仲良く踊るのである。
 うーん、いいけれど、なんかなあ。
 日本の場合は、仕事プラス家庭プラスダンスだったのが、ダンスをやめて、仕事プラス家庭になる。夫が戻るのは、家庭である。
 これに対して、アメリカの場合は、夫は妻の元に戻る。家庭に戻るというよりも妻のもとに戻る。
 「家族の再生の物語」と書いてあるものがあったけれど、そうかなあ。
 子どもたちは、もう高校生か大学生。2人の子どももかなり手が離れているという描かれ方である。
 家庭に戻るというより、カップルとしての妻のもとに戻るという描かれ方である。これには、子どもの年齢も影響しているのかもしれない。 日本版のほうは、子どもがまだ小さい。
 これは、リチャード・ギアの年齢(1940年代)と彼のセクシーなイメージと関係があるのだろうか。パパとしてのリチャード・ギアというのは、想像しにくい。
 オリジナルの映画が、ヒットしたのは、この映画が、「ドロドロの中年の不倫」や「やたらめったらど根性の物語」ではなく、中年のそこはかとなくどこかちょっと違う人生をやってみたいという気持ちを描いたステキな「お伽話」であるからである。
 ドロドロではなく、ちょっと憧れを満たし、ちょっと違う自分を味わってみたいという。アメリカ版も同じ。
 しかし、ダンス教師に対する憧れは、かなり「恋」に近いし、妻の元に戻るという構成は、強くなっている。
 ふーん、妻かダンスかというニ者択一の映画ではないのになあ。
 自分の心が「不在」となっていたお詫びに、妻の元にバラを持って帰る。
 そして、そこには、妻の会社の同僚たちが、涙ぐんで見守るという「観客」も用意されている。
 日本映画の妻との関わりかたの描かれ方を見ると、「妻ってなに?」と思ったけれど、アメリカ映画を見ても、正直違和感。
 夫が、ダンスを週に一回黙って習っていたことが、黙って会場を立ち去り、すがる夫を捨てて(?)車を発車させ、走りさるほどのことなのかしらん。
 「へえっ、良かったね。面白いね。」とはなぜならないのだろう。不思議な欲求不満が湧き起こる。なぜだろう。
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