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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『ナイロビの蜂』(フェルナンド・メイレレス監督 イギリス 2005年)

 愛する妻の殺害をきっかけに、妻が何を追及しようとしていたのか、妻の思いと足跡をたずねる旅の愛の物語をタテ系に、アフリカを舞台とする製薬会社の人体実験(きちんと同意を得て、結核の薬を配るべきなのに、新薬の人体実験をしていくということ)という政治問題、社会問題をヨコ系にして進んでいくドラマである。
 『クラッシュ』などの映画のように時系列が、昔の回想と殺人と現実とが交差していくような作り方である。時系列が一方的に正しく順序を立てて進行していくのではない。
 生き生きとしていて、批判精神が旺盛で、行動的で、正義感の強い妻を愛するおだやかな夫のひたむきな愛というのは良くわかる。
 最近、見た映画で、ニコール・ド・モッドマンとショーン・ペン主演の『インタープリター』という国連の通訳者とアフリカの虐殺をテーマにした映画も若い頃闘士であり、アフリカの虐殺の問題に取り組み、今、国連の通訳として働いている彼女にひかれていく話であった。そう言えば、地域センターを取り壊すためのクレーンの動きを止めるため、友人と「ダイイン」をして道路に寝そべる行動的でお洒落っ気なしの女性弁護士(恋人はグリーンピースの船に乗っているアクティビスト)にひかれていくとっぽい金持ちの経営者の映画も最近ビデオで見たっけ。更にそう言えば、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの『Mr.and Mrs Smith』では、夫と妻とも実は「殺し屋」で、妻の方がうーんと人殺しをしていたっけ。
 女性の方が行動的でグングン進んでいって男性の方が優しい、女性の方が社会派というかつての男女のポジションが逆転する映画も増えてきている。
 そういう意味では、現代的なラブストーリーなのだが、私には大きな不満が残った。
 「何だかなあ。」
 それは、アフリカやアフリカ人が、「客体」として描かれていることである。
 「主体性」のある者として、力強さや希望や取組みが、全くというほど描かれていない。
 「白人から見たかわいそうなアフリカ」といった視点でしか描かれておらず、腹が立ったと言ったら言いすぎだろうか。
 かつてロバート・レッドフォードとメリル・ストリープ主演のアフリカを舞台にした恋愛映画があったが、アフリカという「異郷」と「異文化」を舞台に、そこに交わらず、空中浮遊して恋愛している白人2人という何か妙な感じがしたっけ。
 私は、2度しかアフリカに行ったことがない。知らないことも多い。
 しかし、力強さ、あの音楽とダンス、ポスピタリティーは大好きである。
 「かわいそう」と「客体」で描かれてはたまらない。その「視点」に激怒をしたのだ。
 最近、『ホテルルワンダ』と『クラッシュ』を見た。『ホテルルワンダ』は、ルワンダを舞台に、『クラッシュ』は、ロサンゼルスを舞台に、人種差別、差別からくる殺人などを真正面から採り上げた映画である。
 『ホテルルワンダ』では、ホテルに勤める黒人の主人公が、ツチ族とフチ族の抗争と虐殺が続くなかで、人々を守り、知恵をしぼり、軍人に飲ませたり、交渉したり、おどしたりもしながら、危機を突破していく話が大きい。うまくいかないことも悲惨なことも多いが、主人公は、知恵を使い、立ちまわり、励まし、工夫をしていく。一方調子の交渉はしない。「ああ、こうやって生き残っていくのだ、こうやって人を守るのだ。」と私は感心した。ヨーロッパの人たちに連絡をとり、みんなが見捨てているルワンダの現実への働きかけを起こそうとする。力も合わせる。
 『クラッシュ』でも、「白人化」している黒人俳優のなかみ、黒人の容疑者、できの悪い弟を持ち、自分は警官として出世しつつある黒人の兄など、内在的な悩みも描かれている。
 ここでは、悩みを持ち、差別に苦しんでいる人たちは、「主体」である。
 南アフリカのアパルトヘイトを描いた『遠い夜明け』では、白人のジャーナリストが主人公だが、虐殺される実在の黒人活動家ピコもしっかり描かれている。
 ミュージカル『サラフィーナ』の中で、「マンデラ」と歌う黒人の女の子は、生き生きと元気で、歌い、ダンスを踊る。
 私は、『ナイロビの蜂』には、全く不満である。
 アフリカの力強さや希望が全くないではないか。
 南アフリカ共和国に行ったとき、ダーバンで地元の人が見るミュージカルを見に行き、小学校へ行き、みんなで歌を歌った。スラム街といわれるソエトに行き、ホームステイをし、そこのうちのママにもすっかりお世話になった。
 モザンピークの女たちの農園(「チェ・ゲバラ農園」という名前だった)に行ったとき、子どもをおぶったり、胸にまきつけたりして働いていたりしていた多くの女たちが、働いている農場からポツポツと集まってくれて(歌いながら)、みんなで踊った。
 白人の医師のいるクリニックでも、みんなで集まって歓迎のダンスをしてくれた。
 HIVの薬は高い。欧米の製薬会社が高い特許費を持っているからだ。アフリカで働く医師、NGOは、成分がわかっているので、安い薬を自前で作って、製薬会社と問題になっている。
 NGOはこういうことでもがんばっている。私の知り合いで、日本人の医師で、アフリカのHIVに取り組んでいる人がいる。彼が言う。
 「女の人たちはたくましい。HIVにかかってもみんなで力を合わせて元気にやっているよ。」
 その通りだと思う。
 私がモザンピークに行ったのは、日本の食糧援助の大部分は農薬であり、そのまま野積みになっていたりしているからであった。問題のあるODAとして行ったのである。
 モザンピークでは、そのことにずーっと取り組んでいる現地のジャーナリストの人たちに取材を受けた。
 現地の人たちと一緒にやれることは一杯ある。この映画のなかで、現地の医師の人と女性の主人公は一緒にやっているのだけれど、もっと現地の人たちと一緒にやればいいのにと思った。
 南アフリカでがんばっているNGOの活動家の日本人たちでも、「アフリカの希望」ということを言う。
 「アフリカの希望」が見えない映画である。アフリカがテーマでない映画かもしれないけれど、「主体」としてなぜ描かないのかと不満である。
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