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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『ALWAYS 3丁目の夕日』(山崎貴監督 日本 2005年)

 主演 堤真一、薬師丸ひろこ、小雪
 この映画を見たのは、随分前である。
 最近、安倍晋三さんのこの映画評を「美しい国へ」で読んだ。びっくりした。
 もとより映画の見方は、人それぞれである。
 わたしは、日刊スポーツなどの映画の賞の審査員の一人をしている。そこでも例年すさまじいバトルが繰り広げられる。
 ある人は、ある映画を名作と言い、別の人は、ひどい映画だと言う。ある人は、ある人の演技を絶賛し、別の人は、くさい演技だと罵倒する。と言った具合だ。これが、広告の賞だと全く違う。最後の最後は、好みになるけれど、プロの目から見ても、アマの目から見ても、大体3本くらいに絞られる。みんなが、超一流だと認めるものは、誰が見ても、超一流である。
 これに対して、映画は、全く評価が分かれることがある。一緒に映画を見に行っても、全く評価が分かれるということは、みんな経験することだろう。
 だからわたしは、わたしと安倍晋三さんの見方が全く違っても別に驚かない。
 わたしは、この映画は、とってもいい映画だと思う。子どもにも見てもらいたい。
 しかし、何に感動したかが安倍さんとあまりに違うので、びっくりして、書くことにした。

 わたしは、この映画を見て、心を打たれたのは、この当時の人たちの戦争体験である。
 わたしは、昭和30年生まれ。この映画の設定は、昭和33年である。
 堤真一と薬師丸ひろこの子どもが、父親に向かって言う。「おとうさんは、何かと言うと戦争の話ばっかりする。」と。
 わたしも母親から、戦争の体験を一杯聞かされた。学校に行く途中で、空襲警報がなり、汽車が止まって、みんな防空壕にはいったりしたこと、空襲警報の話、爆弾が、防空壕に落ちて、友人とかわいがってくれていたその人のおにいさんも死んでしまったこと、亡くなってしまった知人の話、「戦争反対」と言うと、「アカ」と言われて、警察に連れていかれた時代だったこと、長崎の原爆の投下のこと、戦争が終わったときに、どんなに嬉しかったかということなどなど。
 わたしが、「戦争は嫌だ」と心から思うのは、この母親が、ずっと戦争体験をわたしに語ってくれたからだと思う。父親は、逆に、ほとんど戦争の話をしてこなかった。

 だからこの映画を見たときに、子どもが、「戦争の話ばっかりする。」と言う意味がすごくわかった。
「青い山脈」とは違う意味で、ある意味戦後民主主義の映画であり、わたしは、反戦の映画でもあると思った。
 三浦友和演ずるお医者さんがいる。ついつい百恵ちゃん元気かなと思うが。
 妻と子どもを空襲で亡くし、一人暮らしであり、酔っ払い、よく妻と子どもが元気であるという夢を見てしまう。
 戦死者だけでなく、戦争が家族などに大きな痛みと悲しみを与えつづけていることも映画では描いている。

「はて」と実は思うのは、「美しい国へ」の次の部分である。

 「家庭科の教科書などは、『典型的な家族のモデル』を示さず、『家族には多様なかたちがあっていい』と説明する。生まれついた性によってワクをはめてはならないという考えからだ。」
 「たしかに家族にはさまざまなかたちがあるのが現実だし、あっていい。しかし、子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すのは、教育の使命ではないだろうか。」
 「家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、『お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃん もおばあちゃんも含めてみんな家族だ』という家族観と、『そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ』という価値観は、守り続けていくべきだ思う。」

 そして、この「3丁目の夕日」礼賛になるからわからない。
 はっきり言うが、この映画のなかで、「おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子ども」で暮している人はいない。
 堤さんと薬師丸さんのうちもそこには、集団就職でやってきた女の子がいて、家族同様に暮している。
 小雪さんは、一人暮らしであり、そして、この小雪さんに恋している茶川竜之介は、売れない小説家で、文房具屋さんをしている。小雪さんは、元同僚から、人づてで、小学生の男の子を押しつけられ、全く困ってしまって、茶川さんに、この子どもを引き取ることを押しつける。
 小雪さんにしたって、ましてやその子どもと同居するはめになってしまう茶川さんにしたって、その子とは、全くの赤の他人であり、面識も全くないのである。しかし、転がりこんできた子どもと一緒に暮らす。
 これは、ある意味家族と言えば家族である。
 全く血のつながりのない、全く関係ないけど、一緒に暮らす家族。
 帰ってこなかったりすると心配する関係だ。
 本当のおかあさんを訪ねて、子どもは、高円寺方面に出かける。会えないし、おかあさんは、別の人と一緒に暮しているのだ。
 茶川さんのところに、転がりこんで一緒に暮す男の子は、婚外子である。
 実の父親が、後から、登場するが、子どもは、その父親ではなく、茶川さんと一緒に暮らめすことを選ぶ。

 この映画は、なんかそんな奇妙な人とのふれあい、「おまえは、迷惑なんだよ。なんでオレがおまえと一緒に暮らさなきゃなんないんだよ。」とぼやきながら、心配して、一緒に暮らすあたたかさや触れあいを描いている。堤さんちにテレビがやってくると、近所みんなが集まって、力道山の空手チョップに熱狂する。

 この映画は、家族と家族を超えた関係を描いているとも言える。
 小雪さんと茶川さんの間には、なーんにも起きないけれど、小雪さんには、茶川さんに、大切にされた思い出と記憶は残り、彼女を励ましている。

「典型的な家族というものをきちんと教える必要があり、おじいちゃんとおばあちゃん、おとうさん、おかあさん、子どもが、その家族であり、その家族が一緒に暮すのが大切だ」と言うけれど、安倍さんが、絶賛する「3丁目の夕日」には、こんな家族は、登場しない。
 血縁も縁もゆかりもない茶川さんと男の子の関係こそ描かれているとも言える。

「これが典型的な家族」と言い、かつそのことを教育の現場で教えることにどんな意味があるだろうか。
 茶川さんが引き取ってこれからも育てる婚外子である小学生の男の子は、「典型的な家族は、こういうものです。」と学校で、教えられたらどういう気がするだろうか。どう考えたって、彼には、そのような家族は、存在しない。
 家族は、大事だとわたしも思う。
 私的な生活は、人を本当に励まして、支えていく。
 しかし、いろんな家族がある。
 今の学校のクラスでは、両親が離婚している子どももいるだろう。
 どんな家族が一番、どんな家族が典型的とは言えない。親が死んだうちの子や養子の子ども、里親のもとで育ってする子、施設のうちの子などはどうなるのだろうか。
そして、家族が大事といったけれど、家族のなかで、児童虐待やドメスティック・バイオレンスがある場合は、むしろきちんと救済をすべきである。
 長い間「法律は家庭にはいらない」と言われ、児童虐待やドメスティック・バイオレンスへの取り組みが遅れてきた面がある。

「3丁目の夕日」を見て、「典型的な家族を教育の場で教えるべきだ。」と思うのだろうか。
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