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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『歩いても 歩いても』(是枝裕和監督 日本 2007年)

 主演 阿部寛、樹木希林、原田芳雄、夏川結衣、YOU、高橋和也
 面白くて、恐い映画。
 ふふふ、ヒヒヒ、はっはっはっと笑ってしまう。
 実際、わたしが、映画館で見たときは、いろんな人、特に、男性の笑い声が、映画館に響いた。こちらもつられて、笑ってしまう。

 夏の日の一日間を描いたもの。
 老夫婦のうちに、娘の家族と息子の家族が遊びにくる。
 夫は、町医者だったが、今は、引退をし、老夫婦で2人で住んでいる。

 何でもない会話。
 とりとめのない会話や思い出話。
 そんな会話をする家族のほっとする面とどきっとする面と。

 何と言っても、樹木希林がいい。うまい。
 孤独と不満と夫に言えなかったこと(若いとき、実は、夫の浮気を知っていたことを、さらりと夫に言ったりする)とよその子どもを助けるために、海で、溺死した医者をつぐことになっていたもうひとりの息子への愛情とどこにぶつけていいかわからない感情と。
 娘の家族が遊びに来てくれることは、嬉しいけれど、孫が騒ぐのは、嬉しさ半分、うるささ半分。
 単調な2人の生活が、活気づくことは、歓迎だけれど、かきみだされたりすることは、少しうっとおしい。
 だから、娘の家族と、2世帯同居の家に改築し、同居することをしぶっている。

 家族についての愛情とうっとうしいところと昔話とこれからのことと。
 そんなないまざったところを等身大で、ふふふと笑えて、恐いところも描いている。
 多くの人が、自分の家族や愛しているめんどくさい関係?に思いをはせるのではないか。

 樹木希林が、YOU演ずる娘に対して、帰省をする息子、阿部寛の結婚について言う。
 40過ぎの息子は、子どもがいて、夫を亡くした女性と結婚をしたのである。

 「おふるなんてもらわなくて良かったのに。」
 「死に別れより、生き別れのほうがいい。生き別れの場合は、嫌いになって、別れているけれど、死に別れのほうはそうでないから。」と。
 すごいせりふ。
 しかし、わたしは、どうせ結婚をするのなら、生き別れより、死に別れのほう人のがいいというのをどこかで聞いた記憶がある。母親からだろうか。母は、実にいろんな話を人生訓?として、娘に話をしてきた。
 死んだ人は、美化されてしまうから、大変だと。

 それにしても「おふる」発言はすごい。

 そのことを是枝監督に言ったら、監督は、自分もそう思っていたけれど、映画を見た人からは、「うちの母親も結構あれくらいは言う。」と言われたとおっしゃっていた。

 世の母親は、子どもかわいさにそんなことを言うのだろうか。
 離婚事件を担当すると、女性たちから、夫の母親に「息子があんな人と勝手に結婚して。」と言われたとか、「ピアノがひけるようなお嬢さんと結婚すれば良かったのに。」と言われたとかよく聞いたっけ。
 父親は、娘の夫が気に入らず、母親は、息子の妻が気に入らないなんてことがあるのだろうか。

 樹木希林は、阿部寛の妻、夏川結衣に対して、着物をあげている。
 もう着ないしという感じで。
 そして、そのときに、さらりと言う。
 「もう子どももいるし、新しく子どもを作ることは、しばらく考えてみたら。」ひきつる夏川結衣。

 実は、溺死したできのいいいわゆる長男のお墓まいりに行って、帰り道、前を夏川結衣と小学生の息子が2人で歩き、後ろを樹木希林と阿部寛が歩いている。

 前の2人は、「パパのお墓まいりに行こうか。」と話をしている。
 後ろでは、樹木希林は、息子に言う。「結婚をしたばっかりだし、子どもを作るのをちょっと待ったら。子どもができたら、別れにくくなっちゃうわよ。」と。

 恐い会話。
 4人で、歩いている姿は、3世代で、仲むつまじく歩いているようにしか、きっと見えないのにね。

 夏川結衣は、「パパのお墓まいりに行こうか。」と息子に言っているが、もちろん失職中で、子どものときのまま、父親とぎくしゃくしている夫のことを愛しているのである。

 嫌いではなく、好きで、心にとめているのだけれど、ぎくしゃくしたり、疲れたり、気を使ったり、ほっとしたり、ぷんぷんおこったり、心配をしたりというそれぞれの気持ちがほんとうまく描けている。

 娘たち、そして、孫たちは、「おばあちゃんち」と言う。
 確かに。うちでも、「兵庫のおばあちゃんち」「宮崎のおばあちゃんち」と言ってきた。

 おじいちゃんとおばあちゃんの両方がいても、おばあちゃんち。
 確かに、孫が来ると、おばあちゃんは、台所で、腕を振るい、みんなの面倒を見て、まさに、「おばあちゃんち」。
 これでいいのかなあと思いつつ、何となくそう言っていたら、映画のなかで、「おばあちゃんち」が出てきて、「あっ、よそもそうなのだ。」とおかしくなった。

 ところで、原田芳雄演ずるおじいちゃんが、「ここはわしが建てたんだ。なぜおばあちゃんちなんだ。」と怒る場面があるけれど。
 そこで、場内には、年配と思われる男性たちの笑い声が響いて、なんかわたしもいろんな人と、何らかの感情を共有をして、映画を見ている気になった。
 落語じゃないけれど、笑いとばすって、楽しいし、気持ちが自由になる。

 お風呂場に手すりがつくようになったり、タイルがはがれたままになっていたり息子は、親の老いを実感をする。
 また、人生や小さい頃のことは、巻き戻せない。
 息子は、できの良かった兄のことを両親が自慢に思い、期待をしていたことと自分のことについて、いまだにうまく折り合いがつけられない。
 大人になっても、逆に大人になっているからこそ、感情をひきずっている。

 相続の事件を担当をすると、親と子、兄弟姉妹の間のとてつもない長い物語とそれぞれの悲しみや恨みや喜びや自負やわだかまりや嫉妬を感ずることがある。「おかあさんは、おにいちゃんばっかりかわいがって。」とか。
 時計の針は、巻き戻せない。

 原田芳雄と阿部寛と夏川結衣の連れ子の3人の男が、散歩に出かける。
 ゆっくりとしか歩けない原田芳雄。
 阿部寛は、携帯電話をかけるふりをして、父親が追いつくのを待つ。
 やさしい息子。そんなさりげないことしかできないし、頑固者の父親とたまに会っても、口論をしてしまうのだ。

 3人で散歩をしたからこそ、歩道橋を渡って、長男が亡くなった海に行く。
 子どもや新しい存在は、何かを未来に向かって変えてくれる。

 わたしも、両親や姉に会うと、その後、もうちょっとこう言えば良かったとか、もっとやさしくすれば良かったとか、あれこれ批判めいたことは言わなければ良かったとか、いやもっと踏み込んで言って、逆に力になるべきだった、次はそうしようなどと軽く後悔をする。
 多分、むこうもそうだろう。

 家族は、何かが多すぎて、何かが足りない。

 家族のいいところ、すごいところ、面倒くさいところを実にうまく描いている。

 親しい、仲のいい人と、その人の家族について、話をしたくなる。
 家族の話をすることは、その人のことを、もっともっと知りたいということでもある。

 この映画には、「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」というコピーがついている。

 間にあわないと思わずに生きていきたいな。

 是枝監督の映画は、「誰も知らない」など、生きている人間に対して、謙抑的な愛情に満ちている。
                    (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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