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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
市民ケーン(1941年アメリカ、製作・監督・脚本オーソン・ウエルズ゙)

 「バラのつぼみ」という言葉を残して、新聞王が亡くなる。新聞記者たちは、この言葉が、この新聞王の人生のなにかを表していると考え、取材を始める。妻・部下・執事などを通じてあらわれてきた彼の人生は・・・・・・・。
 成功したと見られている人の人生が、本当はそうでないこともあることを語っている。
 なんというかわたしのまわりにはこんな人が結構いるような気がする。
 いろんな人を愛するというよりもいろんな人に愛されなければならないといったような。芸能人の人たちもそうかもしれないし、政治家の人たちも人を愛するというよりもいかに自分を愛してもらうかに汲々としてしまう面があると思う。
 この新聞王はそういえば、知事選に出るのだ。2番目の妻が家から出ていこうとする。夫は、引き留め、こう言う。「行かないでくれ。君がいなくなると困る。」妻は、言う。「自分のことばかり。」
 権力者で、自分を中心に動いているのだから、身近にいる妻すら幸せではない。
 芸能人の人が、いろんな人に愛されなければならないというのはわかるけれど、ほんとはいろんな人を愛さなければならない政治家の人たちが(愛さなければいけないというのはおかしいけれど、ほんとは愛がなければやれない仕事だろう)、権力の亡者となり、その人個人が実は空洞化していくのを見る気がする。
 わたしが、議員会館に来たときに、自民党の国会議員の妻に離婚の相談を受けた。
 パーティーで会った自民党の大物議員の妻に名刺を出したら、彼女は、「わたしは名刺を持っていないんですよ。」と言って、さらにこう言った。「政治家の妻って、半分しか人権がないんですよ。」
 夫はどう思っているのかな。もう足元から「反乱」が起きるかもしれないのだ。
 愛がなければできない仕事って、一杯ある。学校の先生とかジャーナリストとか。
 わたしたちは、愛されたいと思って必死で生きて、逆に何かを失ってしまうこともあるかもしれない。ああ、恐ろしい。

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