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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
「闇に咲く花」(こまつ座86回公演 井上ひさし作、栗山民也演出)

石母田史朗、石田圭祐、浅野雅博、北川響、増子倭文江、井上薫、辻萬長、水村直 也、山本道子、高島玲、小林隆、藤本喜久子、眞中幸子出演

 「井上ひさし全芝居全5巻」は、読み物としてとっても面白い。シェークスピアはもちろんのこと、永井愛さんなどの戯曲は、読み物としてたくさん読んできた。
 でもやっぱり芝居は、演じられているのを見るのが一番。音楽や間合い、そして、客席の笑い声も楽しい。始まる前のワクワク感や最後のカーテンコールの素晴らしいというエール。
 時間を作って、最高の芝居をせっせと見に行こう。

 この「闇に咲く花」の初演は、21年前の1987年である。
 1985年8月15日に、当時の中曽根首相が靖国神社に公式参拝をした。
 その後、小泉総理の参拝もあり、議論が沸騰し、裁判も提訴され、政教分離に反するとの判決も出される。

 「闇に咲く花」が提起したものは、時代のなかで、その意味が極めて大きくなった。

 それが今、上演をされた。
 井上ひさしさんの戯曲に通ずるけれど、こんな深刻な重大な問題を庶民の眼で、ときに、ユーモラスに構成をすることができるなんて。
 「父と暮せば」は、ヒロシマの原爆の被害にあった女性の話だった。
 わたしは、原爆の被害については、いろんな人の話を聞き、何度も記念館を訪れ、だいぶわかっているつもりだった。
 しかし、わかっていなかったことを痛感をしたのだ。
 そして、こんなにユーモラスにも、テンポ良く、展開できることに、驚愕をした。
 深刻なことを深刻に伝えることは、多くの人がすることでは。わたしも多分。
 しかし、こんなふうに、表現できるなんて!

 この「闇に咲く花」もそうである。
 社会党・社民党は、戦後ずっーと毎年、8月15日は、国立の墓苑である千鳥が淵墓苑で、追悼式を行なっている。
 そんなときに、この「闇に咲く花」を見ることができた。

 舞台は、昭和22年、夏の東京神田。
 焼跡の荒れ果てた愛敬神社が舞台。
 神主牛木公麿は、ステテコをはいているし、近所に住む5人の女性たちと闇米などを調達をしようと必死である。この5人の女性は、境内のなかで、お面を作っている。
 5人の女性たちは、それぞれ未亡人だったり、いろんな事情を抱え、肉親を戦争で失っているのだ。

 牛木の息子健太郎は、神田商業野球部の名投手だったが、戦死をしていた。
 みんな彼が亡くなったと思っていたところへ、健太郎がひょっこり帰還をした。変わらない初々しい健太郎。
 喜ぶみんな。記憶喪失になっていたのが、ふとしたことから、記憶が戻ったのだ。

 しかし、そんな健太郎が、グアムで、野球をしたときに、現地の人たち相手にピッチングをしたことが、「虐待」だと言われ、GHQから、C級戦犯に問われていることがわかる。
 ショックで、また、健忘症にかかる健太郎。
 記憶が戻ったほうがいいのか、それとも戻らないほうがいいのか・・・・・。
 記憶を巡る話になる。
 記憶が戻らなければ、裁判には、かけられない。

 野球部の仲間であり、精神科医でもある友人の稲垣などのおかげで、記憶を戻した健太郎が、父親である神主の牛木に対して言う(本当は、健太郎は、神社の境内の大きな杉の木の根っこに捨てられていたのを、やさしい牛木が拾って、実の子として育てたのである)。

 「父さん、境内が焼死体置き場になったとき、ほんとうの神道は滅んでしまったんだね。」
 「境内は、普通の人たちが心の垢を捨てに来て、さっぱりした心になって帰る、そういところだった。でも、いつの頃からか神社は死の世界への入口になってしまった.父さん、出征兵士がいったい何人ここから旅立って行ったんです?・・・・」
 父親は、「わ、わからん。」と答える。
 健太郎は、「その記憶を取り戻してください。」と言う。
 「みんな健忘症だ。」「ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ、忘れたふりをしてはいけない。」と。

 神道が本当の神道ではなくなったていたのではないかということがテーマのひとつ。
 そして、もうひとつのテーマは、記憶についてである。

 健太郎は、健忘症にかかり、その健忘症がなおれば、裁判にかけられる。
 みんなは、健太郎の健忘症がなおったほうがいいのか、なおらないほうがいいのかわからない。少なくともみんなは、記憶が戻ったとして、健太郎をGHQに渡したくはないのだ。

 健太郎の健忘症が問題なのではなく、実は、みんなの、国民の健忘症が問題なのだ。つい最近起きたこともみんな忘れるか、忘れるふりをしているのではないか。そのほうが、現世を生きていくのに、都合がいいから・・・・・。
 そんなことを語りかけてくる。

 そして、もちろんC級戦犯とは何かということも。

 8月15日に平和太鼓が、神社で、たたかれていたこと、闇米などを買いだしに行く庶民の姿、亡くなった夫のこと、経済の問題、捨て子の存在、庶民で、励ましあり、助け合って生きていっていることなど、生き生きと描かれている。

 こんな重い、大きなテーマを、庶民の、人々の目線で、描くことができるなんて。
 当時の野球事情や食べものの事情など、生き生きと描かれている。
                    (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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