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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンド−フ監督 アメリカ 2006年)

 この映画、ドキュメンタリーの配給をしている中野理恵さんは、わたしが、弁護士1年目のときからの友人である。ゲイで、市議会議員であるハ−ベイ・ミルクを扱った映画などたくさんの映画を中野さんを通して知って、考えるようになった。
 今回も中野さんからの紹介である。
 面白くて、愉快になる映画。そして、国とは、人とは、戦争とはと考える映画である。
 「反骨の路上画家」「80年の数奇な人生」とチラシにある。

 柿の赤がとてつもなくきれいで、インパクトがある。猫のかわいらしさが出ている。広島の原爆のもとで、逃げ惑う人々。ジミー・ミリキタニのかく絵は、ダイナミックで、明るく、また、ユーモアがあり、また熱い思いのこもった絵である。この映画のなかで、やっぱり素晴らしいのは、彼の絵である。

 ジミ−・ミリキタニさんは、日系人の公園の近くに住むホームレスである。本人は、自分のことをホームレスと思っていなくて、路上アーティストと考えている。彼は、絵を売り、人々から鉛筆や絵の具をもらい、絵を書きつづけ、また、料理店の韓国人の経営者がジミ−に食事をくれたりしている。
 ジミ−は、80歳。
 リンダは、ジミ−のことを気にかけて、話かけていたりしていた。
 2001年9月11日の事件のときも、ジミ−は、そのすぐそばで、淡々と絵を書き続けていた。
 騒然となり、ほこりなどが舞う現場近くの状況。
 リンダは、心配して、ジミ−を自分のアパートに連れてくる。リンダの家で、絵を書くジミ−。
 このドキュメンタリーの主人公は、ジミーだけれども、もう1人の準主役は、この映画をとっているリンダである。
 よくわからない初対面に近い男性を自分のアパートに連れてきて、ずつと面倒を見るということができるだろうか。
 仕事をして帰ってきたら、部屋が目茶苦茶になっている、ものが全部なくなっている、突然暴力を振るわれるなんてことも全く考えられないわけではない。知らない人を家に呼んで、引き取るなんてリスクがあると思うが、リンダはそのことは考えていない。
 ジミ−は、リンダにいろんなことを話し始める。
 カリフォルニアで生まれ、小さいときに、広島に戻り暮らし、その後、また、アメリカに来て、そこで、戦争が始まって、日系人の強制収容所に入れられる。戦争が終わり、釈放される。その後、日系人の収容されていた若者たちは、農場で働く。その後、転々として、今日に至る。

 ジミ−の出身は、広島。
 母親も含めて、家族や親族の多くは、広島の原爆で死亡してしまう。
 広島の絵をかくジミ−。なつかしい景色の絵と原爆の場面の絵。

 ジミ−は、強制収容所にいれたアメリカのことをぼろくそに言う。何万人も砂漠にある収容所に入れられ、劣悪な環境で、多くの子どもたちも亡くなった。
 強制収容所に入れられ、何もかもなくしてしまったと訴えるジミ−。彼にとっては、単に、60年前の話ではないのだ。心の傷になっている。

 日系人の強制収容所、ヒロシマ、9・11テロ、イラクとテーマがつながっていく。

 猫背で、うつむいたいたジミ−の背中が伸びていく。
 ツアーで、強制収容所を訪れるジミ−。
 仲が良かったけれど、この強制収容所で亡くなってしまった男の子も含め、弔いの花をささげる。
 穏やかな顔になるジミ−。

 自分の歴史をたどり、話をすることで、変わっていくジミ−。だんだんいい顔になっていく。
 アメリカなんてとんでもない国だと怒り続けていたジミ−は、リンダと出会い、様々な人と再会もしていくことで、変わっていく。
 アメリカは、問題もある国だけれど、また、こんなステキな人たちもいる国だということを、映画を見るわたしたちも感じていく。

 この映画を見ながら、わたしのバックグランドとこだわりも思い出した。
 わたしの父は、ハワイで生まれた。
 子どものとき、戸籍謄本を見て、父親が、ハワイ生まれと書いてあることが不思議だった。
 父の両親などが、アメリカに移民をし、父の姉妹たちは、ハワイで生まれた。
 父の父、つまりわたしのおじいちゃんは、父が生まれる前に、病気で亡くなってしまったために、父は赤ん坊のときに、母と姉たちと一緒に日本に帰国をしている。
 わたしは、祖母と同居をしていたので、祖母からアメリカの話などをよく聞いていた。
 祖母は、ブロークンの英語を話し、家には、大きなトランクや服入れや様々なハワイから持って帰ったものが置いてあった。船旅の話も良く聞いたっけ。

 おじいちゃんの弟は、強制収容所に入れられた。
 わたしは、1990年頃、アメリカを訪れるときに、いとこから、「サンフランシスコに行ったら、おじいちゃんの弟に電話して。」と電話番号をもらっていった。しかし、何度が、ホテルから電話をしたが、たまたま誰も出なかった。残念。結局、話をすることはできなかった。

 親類が強制収容所に送られたということは、わたしが、いろんなことを考えるときに、少なからず影響を与えていると思う。
 わたしは、日本で生まれた日本人である。父だって、当たり前だが、日本人で、赤ん坊のときに、日本に帰ってきたので、何の記憶もない。
 しかし、国によって、人々の人生が、翻弄される、そして、翻弄されてはいけないという思いはわたしのなかに強烈にあるように思う。だから、アジアからの出稼ぎ女性の問題やいわゆる従軍慰安婦の問題などに取り組み、外国人や難民の問題が、人ごとではないのである。

 1990年頃、ワシントンのスミソ二アン博物館で、「アメリカ憲法と日系アメリカ人強制収容所問題」という展示を見た。
 強制収容所の再現や当時の写真や資料、そして、当時の新聞などが展示してあった。

 当時の新聞は、日系人を敵性外国人として、あおっている。
 強制収容所に収容する命令書を大柄なアメリカ人が、小柄な日系人に対して、示している写真がある。くいいるように、その令書を読むその日系人の男性。
 みんなほとんど物を持たず、かばん一個で、収容所の門をくぐっている。ハワイにいる日系人は、収容は免れたけれど、アメリカ本土にいる日系人は、収容された。

 ジミ−は、3年半収容されていた。
 みんな収容によって、失ってしまったのだ。

 日系人は、収容される前に、まず夜間外出禁止令がしかれる。違反すれば、処罰される。
 この夜間外出命令は、アメリカの合衆国憲法違反だと考えたある日系人は、夜間に外出して、逮捕され、処罰され、刑務所に送られる。
 1980年代、その人は、再審請求を行った。
 無罪を求めて、争ったのである。
 裁判所は、当時、日系人を敵性外国人として、そのような政策をしたことは、「戦時ヒステリーであった。」と総括し、再審請求を認め、無罪とした。
 刑務所に入るか、強制収容所に送られるか、当時、日系人は、過酷な人生を迫られた。

 1986年だったと思うが、市民自由法が成立をする。
 これは、強制収容所にはいった日系人に対して、1人につき、200万円を支払い、大統領の謝罪の手紙を渡すというものである。

 一世の人たちは、収容所から出た時点で、あまりに過酷で、あまりにいろんなものを失い、心の痛手が大きかったために、強制収容所の問題を語れなかった。この市民自由法は、語れなかった一世たちではなく、2世、3世の人たちが取り組んだのである。
 わたしは、アメリカで、この立法に取り組んだ日系の弁護士に話を聞いたことがある。ホワイトハウスで、この立法について、スタッフから話を聞いた。「一通ずつ大統領がサインをしなくてはならないなんて大変ですね。」と聞いたら、「いや、ライティングマシンを使うので、大丈夫ですよ。」と言われて、がっくりきたっけ。

 この日系人への補償を考えるにつれても日本のアジアへの戦後補償のあり方も本当に問題になる。

 スミソニアン博物館の展示でも、絵書きの人たちが、多くの絵を残していて、その絵も展示されていた。
 砂漠のなかで、狭い収容所での不条理に多くの人たちは、苦しんだのだ。

 国家と国家が、戦争をするとときに、外国人は、敵性外国人として、差別され、弾圧をされる。狭間のなかで、権利を奪われていく。
 アメリカで、9・11テロの後、ターバンを巻いたインド人が射殺をされたり、イギリスで起きたテロの後、イスラム人がテロリストと間違われ、射殺をされたりしている。

 国家と個人の関係において、国家が、戦争をするときに、どれだけ人々が犠牲になるか。
 この映画を見ていても、「政治のバカヤロウ!」と思ったものだ。涙がこぼれてくる。

 アウシュヴィッツに行き、オランダのアンネの隠れ家を訪れた。韓国で、独立記念館や刑務所の跡地に行き、中国で、抗日博物館へ行った。どこに行っても、あまりに不条理で、人々の苦労にうちのめされそうになる。
 そして、この日系アメリカ人の強制収容所の問題もそうである。

 国家によって、人々が木の葉のように、振りまわされ、踏みにじられていく。これほどまでに、国家に多くの人たちが、翻弄されるなんて。「政治のバカヤロウ!」とわたしが、思う理由である。

 アフガニスタンやイラクへの武力攻撃のもとで、被害にあう人たちは、ヒロシマの原爆のもとで、逃げ惑う人たちと同じである。わたしたちは、もっともっと逃げ惑う人々の立場で、考えるべきなのである。

 ジミ−から、伝わってくるのも、「戦争のバカヤロウ!」
「政治のバカヤロウ!」ということであり、そして、そのジミ−もリンダなどのやさしさで、違う人生を歩み始めるのである。

 ジミ−の明るい色彩の絵を見ながら、眠ることにする。
                     (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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