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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『フラガール』(李相日監督 日本 2006年)

 主演 松雪泰子、岸部一徳、豊川悦司、富司純子
 1965年の福島県いわき市の話。炭鉱の縮小をせざるを得なくなった会社は、常磐ハワイアンセンタを作ることを考える。一種の失業対策事業。プロのダンサーを東京から呼んできて、ハワイアンを踊ってもらうのではなく、地元の炭鉱長屋と言われる炭鉱で働く人たちの子どもたちのなかで、いちからハワイアンを教え、ダンサーにしようとする。募集のポスターを見る早苗と紀美子。早苗は紀美子を誘う。
 SKDから「先生」としてやってくる松雪泰子。この地元に全くなじめないし、なまりはわからないし、教えたら東京に帰ることを考えているつっぱりのダンサーだ。
 はじめみんなちっともうまくならない。おまけに地元の炭坑で働く人たちは、炭坑の閉山に危機感を持ち、「ハワイアンセンター派」を目のかたきにする。当然と言えば当然だ。紀美子は、父親は炭坑の事故で既に亡くなっており、やはり炭坑で働いている母親(富司純子)もあんちゃん(豊川悦司)もダンサーになることには大反対で、紀美子は家を飛び出してしまう。
 30年以上働いていても、紙切れ一枚の辞令によって、首になってしまう。石炭の時代ではないというのが、地元に押し寄せ、家族に、働く者に押し寄せてくる。
 早苗が、小さい妹、弟たちに、ハワイアンのダンサーの格好をして、「メンコイ!(かわいい)」と言われて、家で見せて踊ろうとしていたときに、30年働いて、首となった父親が帰ってくる。殴られる早苗。
 それを聞き、アザのできた早苗を見て、松雪先生は、早苗の父親のいる銭湯に、服のまま乗り込んで、湯船のなかにいる裸の早苗の父親に襲いかかる。止める男たち。
 わたしもこんなことやってみたいなんて思った。実際はできないし、銭湯なんて今は少ないし、勇気もないけれど。服をきたまま、裸の男たちのなかに乗り込んで、びしょびしょになりながら、殴りかかるなんて、やれないことだけに胸がすく。
 「血と骨」の映画のなかで、ビートたけしが裸のまま乱闘をして、確か息子を殴ったっけ。映画「ALLWAYS 3丁目の夕日」のなかでは、怒ったお父さんが、集団就職でやってきて働いている女の子を殴ろうとして、妻と子どもが必死で止めるというシーンがあったっけ。
 なんか殴るのなんか最低と思うけれど、女が逆襲する日本映画ってあまりないから面白いと思った。
 早苗は、父親と弟妹と一緒に夕張炭坑に行くことになり、オンボロトラックに乗って引っ越していく。追いかけて、「またね。またね。」と必死で手を振る紀美子。
 早苗は抜けてしまう。ところで、今北海道夕張市は、財政破綻で大変である。夕張市に行った早苗たちはどうなっただろうと思った。
 なかなかうまくならずくじけて兄に会う紀美子。ぐいっと酒を飲めと言われて、ぐいっと飲む紀美子。「わたしがスターになったら、何買って欲しい。」と兄に言う紀美子。兄が言う。「女は強いなあ。」炭坑で働くかあちゃんと紀美子のことである。
 兄役の豊川悦司も母親役の富司純子もいわき弁をしゃべり、真っ黒になって働く感じが出ていてすごくいい。スターがこんな役をやるの!とわたしは感動した。無骨なあんちゃん役も気の強いかあちゃん役もとてもいい。
 母と娘ということで言うと、母親は娘に早苗から来ていた小包を届けに、練習場に行く。そこで、一人で必死に練習している娘の姿を見る。そっと立ち去る母。
 暖房の整備が遅れて南国の木が枯れそうになる危機を迎える。石油ストーブ(石炭ストーブではない)を貸してくれと土下座して頼むセンター側の職員。
 紀美子の母親は、リヤカーで石油ストーブを集める。
 びっくりして、「婦人会の会長がなぜセンターの方の協力をするのだ。」とつめよる人たち。
 母親は、敢然と言う。「真っ黒になって、真っ暗ななかで働くのが仕事だと思っていたけれど、そうでない仕事もあるのだ。」と。かげながら、娘の選択と仕事を応援しようとする母親。強い古い?母親と必死でがんばって新しく道を切り開こうとする娘の関係が出てくる。
 富司純子さんの娘は言わずと知れた寺島しのぶさん。あるときからふっ切れたようにヌードも辞さないという感じで体当たりで演技する女優の娘に対してどう思っているのかなとついついオーバーラップして見てしまう。
 最後は、センターオープンの日のステージ。
 満面の笑顔。
 わたしもハワイアンを踊りたくなったよ。
 すごくいい映画だった。
 わたしは宮崎出身なので、フェニックスなどはなつかしい。
 また、ハワイアンは平和と愛の踊りなんて思う。
 炭坑の縮小や閉山の様子は、三池三宅闘争のことを思い出させる。
「ALLWAYS 3丁目の夕日」は、昭和33年の東京だったけれど、「フラガール」は、昭和40年の福島県の話。東京よりも貧しいのである。わたしは、土門拳の「筑豊の子どもたち」の写真集も思い出した。地方の困窮と不況と従来の産業の行き詰まりを背景としている映画である。なんとか活路をと必死でがんばる姿もなんとか地元で産業をつくろうとがんばる姿も女性たちのけなげながんばりも描いている。
 この映画を見ながら、イギリスのサッチャー政権のときに、やはり炭坑が閉山となり、子どもを育てるために、それこそ裸一貫ストリッパーになる男たちの映画を思い出した。
 これをやるしかないという切なさと切実さと必死さとなれないことをやるためのドタバタとあつれきと。もてはやされてきた産業が古い産業と切り捨てられ、そこで働いていた人たちは路頭に迷う。地域ごとなりたっていかないから、それこそ大変だ。
 今の政治の地方切り捨てなども頭に浮かんでくる。
 悲惨なんだけれど、地元でやるのだという心意気。男たちの心意気。そして何と言っても、女性たちの心意気である。主人公の女の子たちが、はじめものすごく田舎っぽいのだが、段々変わってプロ(?)になっていく。笑顔がすごくいい。先生も変わっていくんだよね、これが。
 わたしもはじめは政治の世界に慣れなくて、最近は大分慣れて、自分らしく、自然体でやれるようになったので、実は人ごとではなく、身につまされて、涙が出てきた。政治的な演説なんてはじめどうやっていいかわかなかったもんね。今もわからないことはあるけれど。
 「がんばっていきまっしょい」「スィングガール」も良かったけれど、「フラガール」は、生活がかかっている分今日的かも。
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