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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
「ヴェロ二カ・ゲリン」(ジョエル・シューマーカー監督/アメリカ/2003年)

 アイルランドの実在した新聞記者の話。
 アイルランド最大の発行部数を誇る新聞の記者であるヴェロニカ・ゲリンは、麻薬中毒になっている多くの子どもたちの現状に心を痛め、麻薬の取引の現状に切りこんでいく。
映画を見ながら、「おいおい、あぶないぞ。」と声をかけたくなる。
ギャングの一部から、情報をもらい、裏をとらずに、記事を書き、誤報を書いたりする。それでも果敢に取材を続け、麻薬の大元のところに、単身突撃取材に乗りこみ、なんと殴られたりする。

 ピストルで撃たれる。
 弾がそれて、足にあたり、泣きながらうずくまる彼女。
 小さな子どもと夫のいる彼女は、子どもの安否も気遣わなくてはならない。それでも同業者たちからは、「自作自演」との陰口が叩かれる。

 最後、彼女は、車を運転中、おっかけてきたオートバイに撃たれる。

 この映画は、最初と最後が、彼女の撃たれるシーンである。

 DVDで見たので、実在の本物の彼女が、賞を受けて、スピーチをするシーンが、映画の付録としてついていた。
 素顔で、たくましく、映画で、彼女を演ずるケイト・ブランシェットより、ふっくらした感じだろうか。実在の現実の迫力というのだろうか。迫力があった。

 仕事をしていて、緊張感のある、そして、同業のジャーナリストたちも経験する様々な危険に対する配慮と危惧と尊敬も込めたスピーチである。

 結局、彼女の殺害以降、世論が大きく動き、社会の注目が集まり、麻薬撲滅が大きく進む。

 30代で亡くなった一人のジャーナリストの闘い、個人にある不屈の精神とそれでもある不安や恐怖心や家族に対する思いをうまく描いている。
 こんな映画があるのだ。
 わたしは、やっぱり励まされた。
 勇気を持って生きていかなきゃということは、あるので。大げさに言えば、質問ひとつひとつ、発言ひとつひとつが、真剣勝負だ。
 ケイト・ブランシェットは、芸達者なメリル・ストリープと社会派のジェーン・フォンダを合わせたような感じだ。
 エリザベス1世を描いた「エリザベス」と「ロード・オブ・ザ・リング」のエルフの両方とも演ずることが、できるのだから、芸達者というか、演技が素晴らしいことは、間違いない。
この映画を見ながら、原子力発電所の内部告発を描いた映画、ジェーン・フォンダ主演、ジャク・レモンもでていた「チャイナ・シンドローム」を思い出した。

 こんな女性がいたよ、こんなジャーナリストがいたよという映画なのだが、たまには、こんな硬派の映画を見て、自分を鼓舞するのだ。遠い国の会ったことのない女性に、とてつもなく励まされる。

 ところで、この映画を見ていて、彼女の働き方、働かせられ方って、かつての総合職の女性の働き方みたいと思ったのだ。
 チームプレーではなく、個人プレー。同僚の記者たちは、味方だけれど、他社の人たちは、「売名行為」と見ている。「花形記者」なのだけれど、チームで、疑惑追及をする体制で動くのではなく、全く一人で取材に行き、たとえば、殴られ、たとえば、全く裏をとらずに書いて、誤報を流す。
 ひとりでどうしてやるのだろうという素朴な疑問。しかし、事実はそうではないのかもしれないし、実際は、一人でやらなければならないのかもしれない。と、ぶつぶつ密かに疑問を持っていた。
 しかし、一晩寝て、考えを変えた。
 今でもたとえばあるジャーナリストの渡航が認められるようにして欲しい、この人の人身の自由が脅かされているといった情報が、極端に言えば、世界から寄せられる。命の危険が発生するのは、本人の責任ではないのだ。
 「こうすべきではなかったか」「こうすれば良かったのに」という議論をしていくことは、被害者の落ち度を責めるというとんでもない誤りにはいりこむのかもしれない。
日本では、イラクに行き、人質になった人たちが、「自己責任」「無謀だ」と言われたのだもの。
 というわけで、振りだしに戻る。
 彼女の果敢な人生と素晴らしい仕事と人々に対する愛とジャーナリストとしての責任感は、いささかも減ずられることはないのだ。
 わたしも果敢に、勇気をもらって生きていこう。
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