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映画ウォーキング 群を抜いておもしろい映画評です。名作と言われる映画もジェンダーの視点で切ると・・・
『ハンナ・アーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督 ドイツ・ルクセンブルグ・フランス 2012年)

 ハンナ・アーレントの映画を見ました。ハンナ・アーレントは全体主義の起源などの本を書いているアメリカの偉大な女性哲学者です。彼女はハイデッガーの愛弟子であり、そしてフランスの収容所で過ごし、そこから夫と共にアメリカに亡命をしたユダヤ人です。
 アイヒマンが亡命先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関によって逮捕され、イスラエルで裁判が行われた際、ハンナ・アーレントは傍聴を希望して、雑誌『ニューヨーカー』に傍聴記を書きました。ハンナ・アーレントが書いたもので2つの点がみんなのセンセーションを引き起こします。
 第一番目は悪の権化のようなアイヒマンについて「凡庸な悪」と言ったことです。みな、彼女がアイヒマンを罵倒することを期待していました。しかし凡庸な悪と言ったことで皆が失望したのです。しかし凡庸な悪そのものではないか。ハンナは大学で講義をします、人間が思考停止をすることそのことに問題が、と。人が正義感や使命感やある意図を持って行動するのではなく、言いなりになり、ものを考えず、思考停止をすることにこそ問題の本質があると言ったのです。その通りではないでしょうか。とりわけ日本の官僚制度や日本の政治状況、メディアの状況も含めて人々が思考停止をし、意思を持たずに言いなりになって流されていく、そういったことを凡庸な悪と言ったのではないかと思います。日本の今の政治状況の中で凡庸な悪に私たちが流されていっている、負けている、そのことを私自身痛感しています。
 第2番目に彼女が攻撃されたのが、ユダヤ人の中にナチスドイツに協力したリーダーたちがいたということを裁判の過程で知り、そのことを書いたことです。ユダヤの人々は、彼女がユダヤ人を裁くナチスドイツと同じ立場で見下しているとひどく傷つき、批判をします。このことをどう思われますか。私はこの映画を見た直後は、ハンナのこの第二の指摘について正しいのかどうか疑問に思いました。よく差別がないと言う人たちは、被害者の側で協力した人間がいる、戦後補償の中で朝鮮の人たちがむしろ日本に協力をしたのだ、女の敵は女だ、むしろ女性がそれを望んでいるといった言説を多用します。だから被害者の側に協力した人間がいるということが、むしろ加害被害を見えなくする、差別など存在しない、被害者の側がほんとに被害者なのか、そんな誤った言説を跳梁跋扈させるような気が私はしてきました。
 ですからハンナの第一の指摘は鋭い、しかし第二の指摘は若干疑問というふうに思いました。ただ今は考えが違います、ハンナが真実をきちっと語りたかったのであると。単純化した被害加害ではなく、何が起きたのか、実は何なのか、そこから私たちは何を学ぶべきなのか、自分が抑留され、強制収容所に送られて殺されたかもしれないハンナ自身が歴史をきちっと分析し、繰り返し何が起きたか歴史に刻むべきだという事実を直視する立場から、第2番目の指摘も行ったのだと思います。今考えれば第1番目の指摘も第2番目の指摘も実際起こり得ることなのですから、それを指摘したハンナは正しいと思います。
 ハンナはこの論文を書いたことですさまじいバッシングを受けます。人々は受け入れ難かったのです。しかし、全体主義がなぜ起きるのか、そのことを指摘しようとしたハンナの真摯さは、この映画の中で一番光っていることです。思考する哲学者ハンナの真摯さと、思考停止をしてはならない、人間は考え続けるべきだという姿勢は、この映画の中で私たちをほんとうに励ましてくれます。全体主義は、人々が思考しなくなることによって起きる、そのことを今日本でこそいちばん受け止めるべきではないでしょうか。岩波ホールは、満席でした。人々が今の日本の政治状況に危機感を持ち、この映画を見に来た人がいるということを感じました。
 ところでハンナはこの映画の中で実によくタバコを吸います。実際のハンナもヘビースモーカーだったと言われております。タバコを吸うことは全くの嗜好、好みの問題です。ただ男社会の中でストレスを感じ、そこで生き抜いてきたハンナが、タバコを吸うような気もしてきました。ハンナはやはりかっこいいというふうにこの映画を見て思ったんですね。迫害をされたり、大学を辞めろと言われたり、バッシングを受けたり、電話や手紙が山のように来ても彼女は考え続け、そして、議論することをやめません。大学の授業の中で学生たちに全体主義のことを自分がどう考えているかを迫力を持ってきちっと語り合う場面、そして学生たちが拍手をする場面は圧巻です。この映画の中であるユダヤ人が、「君はユダヤ人をナチスドイツのように見下している。サヨナラだ。」と言う場面では心が痛みました。その通りだというわけではないけれども、そう言いたくなる気持ちも実は理解ができるからです。しかし客観的に見てハンナ・アーレントの指摘は正しいのだ、そう思います。私たちは実はいろんなところで思考停止になってしまっているし、思考停止になってしまうかもしれない、人は実は何も考えずにそして様々なことに加担してしまうかもしれない、その危険性を彼女はとても言っている、そう思います。
 タバコのことも言いましたけれども、ココ・シャネルの映画を見てもココ・シャネルやハンナがとてつもないヘビースモーカーであることに、ある種とても印象的な思いがします。男社会の中で数少ない女性として頑張るすべは、このタバコにある意味象徴されているような気がしています。この映画を見て男女関係も面白いと思いました。ハンナは、若いとき、恩師であるハイデッガーの恋人となります。ハイデッガーは、ナチスドイツ時代にナチスドイツに協力をします。またハンナと夫はとても仲が良いほんとにラブラブのカップル夫婦なのですが、どう見ても夫にはシャルロットという恋人がいるように思います。ハンナのほうも信頼関係を持つ男友達が何人もいます。その辺りのドロドロしない男女関係も新鮮というか不思議な感じがしました。ハンナが恩師であるハイデッガーに会うシーンは意外な感じがしました。私であれば、裏切り者であるハイデッガーの顔など見たくないと思うのではないかと考えるからです。収容所に入れられたハンナが、ナチスに協力をしたハイデッカーに会って急に話をするというのが、何かほんとに意外な気がしました。
 何はともあれハンナの強さに心を打たれました。
                    (福島みずほのHPより一部変更して転載)
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