5 敗訴の事例
5-1 職場で
5−1−2010.2.16 S工業事件
食事をともにすることやメールへの対応等を条件に上司である被告から経済的支援を受けていた原告による、セクハラ及びパワハラを理由とする慰謝料請求が棄却された事例
[裁判所]東京地裁
[年月日]2010(平成22)年2月16日判決
[出典]労働判例1007号55頁
[事実の概要] 原告であるX女(娘一人を育てるシングルマザー)は、平成4年に被告Y社に入社した。平成13年、X女は、Y社の取締役である被告Zの業務上の発案に対して反対意見を述べたところ、ZがX女の賞与の評価を下げたため、X女の賞与が減額されてしまった。同年10月、X女はうつ病と診断された(平成16年5月に入院した際、家事・育児・仕事をすべて抱え込んだことで症状が悪化したとの診断を受けている。)。
平成16年3月ころから、Zは、仕事で外出する際にX女を同行して帰りに食事に誘うなどし、「X女とデートが出来て楽しい。」などと言った。平成17年2月、Zは、休日にもかかわらずX女を呼び出し、X女の娘の高校入学祝いを購入して食事をした際、X女と月に1回食事に付き合うことを条件に10万円を支援することを約した。その後ZはX女に対して、頻繁にメールを送信したり、自宅に電話をかけたりするようになり、メールに返信がないと支援を打ち切るなどと言い出し、支援の打ち切りを避けたいX女が返信等に応じると、Zの支援が続けられるといった応酬が何度かあった。Zは、毎月の支援のほかにも、X女のホームステイ費用を出したり、X女のイタリア旅行費用を出したり、X女に対して4万円余りの眼鏡を買ったりした。これらに伴い、Zは、X女と他の男性との関係を疑って留守番電話に何件ものメッセージを吹き込むなど、X女に対する束縛をいよいよ強くした。Zのこうした言動が嫌になったX女は、平成19年1月31日にY社を退職した。退職時、X女はなお、うつ病の通院治療中であった。なお、ZのX女に対する支援総額は、300万程度に達していた。一方、X女とZとの間に肉体関係は存在せず、X女はZから肉体関係を求められたとしても拒否することができる関係にあった。
X女が、Y社とZに対して、セクハラ及びパワハラによる慰藉料として、不法行為に基づく損害賠償等を請求した。
[判決の概要] ZのX女に対する賞与の評価は主観的・恣意的なものであったことが疑われるが、その後の賞与が増額されたこと等を考慮すると、上記評価がうつ病の原因となるほどの重大な嫌がらせであったとは認められない。
ZがX女に送信したメールや経済的支援を含む様々な働きかけは、会社の上司と部下の関係を逸脱した、X女の私生活に対する執拗かつ過剰な干渉というべきである。Zは、X女に対し一方的な恋愛感情を抱いて、上記干渉を通じてX女を束縛しようとしたものであり、X女は、Zの言動に相当の負担感や不快感を覚え、長年務めたY社を退職した。以上によれば、Zの上記行為は、外形的にはセクシャルハラスメントに当たると言うこともできる。 しかしながら、X女はZより合計300万円くらいの経済的支援を受けており、過剰な干渉を受けながらも経済的支援を得ることを優先して、条件付きで定期的に食事等をするという不自然な状態を、自発的に解消しようとはしなかったものといえる。X女が継続的にうつ病の治療を受けていることの原因がZによる過剰な干渉にあると認めるべき証拠もない。
このような事情等を全体的に観察すれば、Zの一連の行為が不法行為に当たるとまでは認められない。
[ひとこと]上司の一連の行為につき外形的にはセクハラに当たることを認めつつ、部下である女性が、総額300万円にも及んだ経済的支援を受けることを優先し、上司の働きかけを自発的に解消しようとはしなかった点に着目し、セクハラの程度が損害賠償を要するほどの違法性は認められないとした事例である。(弁護士川見未華)