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国際社会の現在(いま)―ジェンダー視点から
20世紀を駆け抜けたフェミニスト田中寿美子さん(2015.03.16)

Part3 研究活動

 2.婦人問題懇話会
 婦人問題懇話会は、1960年安保闘争の敗北後、山川菊栄が周囲に呼びかけてつくった、婦人問題の研究団体である。「民主主義と平和、人権擁護の現行憲法」の存在が危うくなりつつあるとの危機意識から、女性の地位向上を期して、幅広い女性たちの研究交流をめざす組織であった。田中さんは創立メンバーの一人であっただけでなく、私が入会した1971年当時には、高齢のため外出を控えて会合に出て来られなくなっていた山川さんに替わって、事実上のリーダーとなっていた。大学院に籍をおいていたものの、大学闘争の結果、学内での居場所も就職の見通しも失っていた当時の私にとって、婦人問題懇話会は、唯一の避難所であり、研究活動の拠点ともなった。
 田中さんはすでに国会議員として活躍中であったが、婦人問題懇話会の正規の活動だけでなく、私的な研究グループをつくり、後輩たちに共同研究の場をつくってくれた。こうした研究会活動を通じて、貴島操子、赤松良子、樋口恵子さんらによる『ビジネス・マダム−共かせぎ百科』読売新聞社 1963)、『近代日本の女性像:明日を生きるために』(社会思想社1968)などが出版されていた。
 こうした先輩たちの後を受け私が関わったのは、明治から現代にいたる女性たちの思想と運動をたどる研究会であり、その後続けた占領期の女性政策についての研究会であった。どちらも、田中さんが婦人問題懇話会の中の数人に声をかけることから始まり、1か月か2か月に1回ぐらいの間隔で、田中さんのお宅に集まった。各自が調べてきたことを発表し、討論した後は、いつも田中さんの手料理をごちそうになり、おしゃべりに花が咲いた。夏には北軽井沢の田中さんの別荘で、2−3泊して、集中討議をした。「戦前派、戦中派、戦後派」(『女性解放の思想と行動』まえがき中の田中さんの表現)という、色々な世代の女性たちが一緒に旅行し料理し会話する、今風に言えば女子会は、大いに盛り上がった。この研究会を通じて、先輩たちの経験をお聞きしたり、料理のコツを教わったのは、私にとってはとても楽しい思い出だ。
 女性史研究会が、いつから始まったかは定かでないが、1975年の国際女性年に出版しようということで、その前年から時事通信社に交渉し、具体的な出版計画を立てた。なぜか6人のメンバー中で一番若い私が目次のたたき台を出し、それぞれ分担して執筆することになった。書名も、当時丸山真男に執心していた私が、『現代政治の思想と行動』にあやかって『女性解放の思想と行動』と提案し、他の方々の賛同を得た。
 この本の刊行に当たって、若い私の提案にすぐに賛成して下さったことのほかに、田中さんに感嘆したことがある。それは、田中さんが、議員活動の合間を縫って、ご自分で一部の章を執筆されただけでなく、全員の文章を読み、編集作業を実際になさったことだ。各担当者の文章に多少手を入れたり、全体の構成を考えて、例えば私が書いた文章の一部を、他の方の章に移したり、田中流のバランス感覚で、全体が統一されている。
 後で、以前に同じく田中さんの編集本に関わった先輩方に聞いたところでは、どの本も、同様の成り行きで出来上がったようだ。若い人たちの意見に耳を傾けつつ、最後はご自分流の解釈と考えで、まとめ直すというのが、どうも田中さんの本づくりの流儀だったようだ。
 女性史研究の内容自体は、その後の研究の進展によって、修正されるべき部分も多いと思われるが、戦後編の最後に収録された執筆者6人(私以外は、全員すでに鬼籍に入っておいでだが)の座談会は、それ自体、戦前から戦後にかけての女性の人生経験の記録として、今読んでも価値ある記録だと私は思っている。この本の刊行後に、始まった占領史研究は、何年か聴き取り調査など、資料を蓄積したものの、田中さんのケガをきっかけとする療養生活等によって、まとめ上げることが出来ないままになってしまったが、田中さんが、議員活動と平行して、いくつも研究会を組織し、少なくとも3冊の本を編集・上梓されたことは、記録に値しよう。
 研究会を主宰することを辞めた後も、田中さんは『婦人問題懇話会会報』に、「『国連婦人の十年』のとりくみへの視点と性差別撤廃条約の問題点」(N0.32、1980)、「性差別撤廃条約をめぐる今後のとりくみかた」(No.33、1980)、「婦人少年局時代の山川菊栄先生」(No.34、1981)、男女雇用平等法制定をめぐる国会、政府の動き」(No.37、1982)、「アジア太平洋地域における人権と売春問題について」(No.39、1983)、「障害をもつ老人のリハビリの場をつくれ」(No.41、1984)など、1980年代前半までは、時宜に応じた原稿を寄せている。
 こうした研究会活動や、文章による発信に触発された女性たちは数多い。2000年に開催された婦人問題懇話会閉会パーティで、樋口恵子さんは、こうした仲間たちを称して、「婦問懇育ち」と名付けたが、田中寿美子さんの果たした功績の一つに、このような後進たちを育てたことがある。田中さんは、社会主義婦人論をベースとするフェミニズム運動から出発しつつ、1960年代以後の新しいフェミニズムにも積極的な関心を示し、若い研究者や活動家たちを育てたという意味で、第1波フェミニズムと第2波フェミニズムを架橋した人であったといえよう。


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