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世界のフェミニストは今 井上輝子
わたしから始まるフェミニズム・女性学

 8月22日(金)−24日(日)、国立女性教育会館で恒例の女性学・ジェンダー研究フォーラムが開催された。今年度の総合テーマは、「21世紀の男女平等・開発・平和―わたしの権利」。全国から約1,800名もの人たちが集まり、主催者企画のプログラムのほかに、100以上のワークショップに企画・参加があった。意見や経験の発表・討論だけでなく、紙芝居、パフォーマンス、寸劇など、多彩な表現方法でワークショップが運営されたほか、自主制作のパンフや啓発ビデオの販売などもあり、日本のフェミニズム運動の広がりと蓄積を感じさせた。ここに来ると、日頃のブルーな気分が吹き飛んで、この熱気と団結の力で、「バックラッシュなんか撥ね返せるぞ!」と思えるような3日間であった。
 私は、初日のプログラム「わたしから始まる女性の権利」で、基調講演とパネルディスカッション、2日目にワークショップ「女性学・ジェンダー研究の危機をどう乗り切るか」で発表した。基調講演は「日本の女性学・女性運動」と題して、私自身の「リブとの出会い・女性学との出会い」から始めて、第2波フェミニズムと女性学の関係、日本の女性学の出発、1970年代を中心に日本の女性運動と女性学の歴史を自分史と絡めながら話した。パネルディスカッションでは、山下泰子さんが女性差別撤廃条約について、宮地光子さんが雇用における平等を求める裁判を紹介しながら均等法の功罪について話された。
 「わたしから始まる女性の権利」というプログラムの題名は企画委員会が決めたものであるが、私はこの言葉を軸に話を進めた。第2波フェミニズムは、政治や社会が自分とは別のどこかにあるのではなく、個人個人の思想や行為自体の中にそれが微分化されて遍在していることを発見し、個人的関係の変革が社会全体の改革につながることを確信し、「個人的なことは政治的」と言い切った。日本版第2波フェミニズムとしてのリブが、大状況ではなく、自分の身の回りの小状況に目を向けるところから出発し、学問化された概念ではなく女たちが日常的に使う言葉で、自分の思想を語ったのは、まさにこの視点からであった。第2波フェミニズムの学問版としての女性学の出発点も、「学問のための学問」ではなく、「わたしが知りたい」「私が必要とする」学問を求めることだったと私は思う。
 「リブ」が「フェミニズム」を経て「男女共同参画」へ、「女性学」が「ジェンダー研究」へと転身する中で、いつの間にか、フェミニズム理論を勉強したり、学問的なジャーゴンを知らなければ女性ないしジェンダーにかかわる問題が語れなくなり、性差別の問題は、行政や研究者や弁護士等の専門家の手にゆだねられ、研究者の関心は現実の「ここにいる女」から離れて、「わたし」はどこかに影をひそめてしまった。屁理屈を声高に叫ぶバックラッシュの論法に、納得したり、同調する人たちが出てくる原因のひとつに、こうしたフェミニズムの側の、日本の女性たちの現実や日常性との乖離があることは、否めない。
 こうした状況だからこそ、今「わたし」に戻って、足元を固める必要がある。あらためてリブと女性学の原点を確認する作業も、意義があるように思われる。

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