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女友だち 木村栄
言語化

 「また、Yが落っこちた」
 Nからの電話である。
 「そうみたいね」
 Yはよくやるのだ。自分の掘った落とし穴に落っこちる。中は迷路だから一人では這い上がれない。その度にSOSである。さて、どうするか。
 「来る?って聞いたら行くって言うの。ということはどん底は過ぎたってコトだから、二人がかりなら一気に引き上げられるわよ。散歩してお宅でお昼ってのはどうお?」
 「事件」が起きて、ショックの大波をかぶった当座は何もできない。呆然と座り込んで混乱した頭を抱えるだけ。然る後に、ともかく何とかしなければと事態の把握に努め、電話やメールで必要な善後策の手を打つ。
 普通の社会人なら、後は少しずつ落ち着きを取り戻して正常化への道を辿るのだが、Yの場合、それからが大変なのである。
 何なのこれは、一体どうしてこうなるの。私が何をしたっていうの。自分を律し、人を信じて礼を尽くしてきた私が、何故、こんな目に遭うわけ?もう誰も信じられない。いや、私だ、私に問題があるんだ。私が周りの人を傷つけてるんだ。あの時もこの時もそうだった。でも私のどこが悪いの? とまあ、こんな具合になる。
 一人で穴を掘っているとどんどん深みにはまってエネルギーを殺がれ、食欲不振に不眠、頭痛に胃痛まで加わってどうにもならなくなる。
 そこでSOSである。電話で二時間も三時間も、何度でも話す。私かNか、たまたま捕まった方が観念するしかない。彼女が投げてくる、自責や不信の混ぜこぜになった感情ぐるみの「問題」を受け止め、整理して投げ返している内に次第に問題の本質が見えてくる。
 つまり、言語化を手伝うわけだ。
 それができれば半分は解決したも同然。何がOKで、どこの手当てが必要かがわかって少し元気が出てくる。
 というわけで、三人でしゃべるだけしゃべって、さっぱりした笑顔で帰っていったY。一件落着である。
 女友だちの役割の第一は相互カウンセリング。今回も何とかうまくいったと、見送る私たちも満更ではない。
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