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女友だち 木村栄
友だちがいない

 赤い留守電ランプはむっつりと沈黙したまま。集合ポストはダイレクトメールとチラシばかり。Eメールは、もう三日、誰からも音信なし。
 これが、孤独死を報ずる記事なら、知人友人のいる痕跡なし、世間から見捨てられた孤老の死、と書かれたかもしれない。そして、身元が、毎度「友だちいっぱい、幸せ!」とノーテンキな文章を綴ってるライターと判明するや、その「意外な素顔・・」、「友だち自慢は寂しさの裏返し・・」、などと好奇心に満ちた暴露レポートの見出しが中吊りを賑わしたりして。
 三日目の早朝、空っぽのメールボックスを覗いて、さすがに焦った。意地も見栄もかなぐり捨てて、五、六通のメールを打ったら、翌朝は同じ数だけ返信があった。しかし、一しきりやりとりすると、又シンとしてしまう。マッチの火が、燃え続けるローソクの炎にならないのだ。
 第一にこんな時である、私って友だちいないんだなあ、と感じるのは。
 そして、第二は、コラムニスト、ミッチ・アルボムの感動的なノンフィクション『モリー先生との火曜日』を読んでいる時に、突然きた。
 筋萎縮性側索硬化症に侵されて、動けない体で人との触れ合いを楽しみ、愛を語る大学時代の恩師を十六年ぶりに訪ねて、毎週火曜日、死の床での最後の授業を受ける話である。テーマは「人生の意味」だが、結婚に話が及んだ時に、モリー先生が言う。
 「確かに友だちってのは素晴らしいものだ。だけどね、咳こんで眠れないとき、誰かが夜中じゅうそばにいて、慰め、助けてくれなければならないとき、友だちはその場にいないんだよ」
 二週間も風邪が治らなくてふさぎ込んでいた私の心に、これがずっぱりと堪えた。私の心境そのものだった。
 体調を崩した途端に、賑やかな友だちとの往来が途絶えてしまう。うつうつと引きこもって、一番必要としている時に傍にいてくれない。それが友だちだというものだとしても、私は、もう少しマシな関係を作ってきたと信じていた。ああ、それなのに、である。
 私って、ホントに友だちがいないんだなあ。

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