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女友だち 木村栄
引っ越し

 一年がかりで悩んだ末に、ようやく引っ越しを敢行した。
 女の引っ越しは六〇まで、とか。難病をもつ六六歳の身で、住み慣れた家を売って未知の地に越すとなれば、迷いも悩みも深くて当然だ。その、暴挙とも言える転居の理由は又の機会に譲るとして、私の場合、悩みの第一は、馴染んだ人間関係を失うことだった。
 マンションには、「助けて」と言えば必ず手を貸してくれる住人が四人はいる。街には、気軽に相談できるお医者さんやケアマネ、私の好みを知り尽くした美容師さん、電話一本で配達OKの八百屋さん、世間話の好きなお米屋さんがいる。道で会ってもすぐにおしゃべりが始まる洋食屋のマスター、「おめかしして、どこ行くんだい」と声をかけてくれる花屋さんなど、私の名前も知らない筈の顔なじみがいる。
 どんな時、誰に連絡すれば、どこへ行けばいいかが頭に染みついていた。
 はぎ取られれば裸同然の、そんな人間関係を、又ゼロから作り直すなんてことができるのだろうか。
 弱気になっていた、ある日。
 古い友人から引っ越し見舞いのウインナーが届いた。軽井沢の山荘の近くに美味しい手作りソーセージの店があるからと、時々送ってくれる私の大好物である。噛みしめると涙がでた。
 意識はしなくても、一変した生活環境に適応しようと、老いの心身は必死だったに違いない。
 住所変更に始まる雑多な手続き、ややこしいオートロック、エレベーターで取りに行く新聞、暗証番号の要るポストの開閉、今までと全く違うゴミの分別や出し方、見慣れない宅急便やら生協やらの業者、未知の住人。勝手の違うスーパーや郵便局や駅。選びようのない美容院やクリーニング屋。
 交感神経が過度に緊張し、気持はぴんと張り詰めていた。今までは夢中で気がつかなかったが、古く馴染んだ味に触れてふと緊張が溶けたのだろう。
 涙まじりのウインナーは、懐かしい友だちの味がした。
 大丈夫、住む場所は変わっても、友だち関係は何も変わらない。女友だちの友情は、昔も今も同じように私を支えてくれている、と。
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