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女友だち 木村栄
友情が壊れるとき

 時々、「友だちと気まずくなって」と相談を受ける。「率直に話し合えばいい」と、私はいつも同じことを言う。
 その程度なら大丈夫。友情の終わりは問答無用、相談の余地などないのだ。例えばU。
 仲のいい仕事友だちと出張の後に時々温泉一泊旅行をする。ある時「楽しいねえ」と話し掛けたら、「男と一緒ならもっと面白いのに」と返ってきた。その一言で「ぶっちぎれた」。
 気心の知れた仲の冗談かも知れないが、それまでのあれこれから、「男が一番、女は二番」の本音が出たとしか思えなかったという。
 Tは、「小説なんて」の一言。
 文学部出身のTは、小説を読んで人間を知り人生の意味を考えてきた。読む目にも批評の文章にも確かなものがある。この一言は、文学によってアイデンティティを形成してきたTの、すべてを否定する言葉に等しかった。
 Uは、相手からの誘いを都合がつかないと断り、Tは、送られてきた誕生祝いを、「おつき合いはこれまでに」と書き添えて送り返したそうだ。
 友だちだと思ったのは間違いだったと、どちらかが目覚める。友情が壊れるのはこういう時だ。
 イタリアの心理学・社会学者アルベローニは「友情の本質は評価と判断にある」と言っている。友情にひびが入ったらその意味を評価し、どうするかを判断する。和解か絶交か。一度下した判決が覆されることはない、と。気の弱い私は自分から絶縁することはできないが、切られて辛い思いをしたことはある。完全に私が悪かった。言い訳するのも恥ずかしくて、自分を正当化するような高飛車な手紙を書き、無視されて終わった。沈黙の意志は痛いほど伝わってきた。もう何をしても取り返しがつかないのだ、と。
 UやTのようなミスマッチならともかく、自分が悪かった私としては、相手の転居で永遠に和解の機会を失ったことが残念でならない。
 だから、大切な友だちなら、相手を理解し自分を改善して、自分と友情の両方を成長させる努力をすべきではなかろうかと、私はまだ、未練がましく信じているのである。

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