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女友だち 木村栄
「いつものとこ」

 引っ越して三ヶ月、「少しは慣れた?」とよく聞かれる。
 確かにゴミ出しやオートロックの開け方は間違えなくなった。私鉄の駅への近道も覚え、スーパーの買い物にもまごつかなくなった。
 だが、「慣れた」と言う実感はない。何かが足りない。どこかが違う。
 「慣れる」って何だろう。
 六二歳で引っ越したMは言う。
 「私は五年かかってようやく、慣れかけたって感じ」
 いつの間にか会えば立ち話をするようになった犬の散歩仲間、気軽に相談できる薬局の「お兄さん」、相性のいいかかりつけの医者、黙っていても好みの長さにカットしてくれる美容師、行けば顔馴染みのいる居酒屋と、近所にそこそこ気心の知れたつかず離れずの人間関係ができて、自分の居場所ができた。或いは、自分の存在が周囲に認知された。
 つまりは、 移し植えた植物が新しい根を伸ばし始めたような手応えを感じた時が、「慣れた」になるらしい。
 私には、その実感がないのだ。
 両隣には引っ越しの挨拶をし、エレベーターに乗り合わせた住人には愛想をふりまき、管理組合にも顔を出しと、顔を売る努力はしているのだが、いまだに知り合いができない。まして、友人など尚更だ。
 もちろん、古友達は健在だ。転居したからといってどうということはない、筈だった。
 ところが、である。
 Nとは毎週、近くの緑道を散歩していた。歩きながら季節の移ろいを楽しみ、一週間分のおしゃべりをする。悩み相談、友人知己のあれこれ、テレビドラマの論評など、話が尽きることはない。その習慣を失った後の穴ぼこがなかなか埋まらないのだ。それが、いや、Nだけではなく、気軽に吉祥寺で会っていた友人たちとの、新しいデート場所がなかなか定まらないのが、私の違和感の正体かもしれない。
 地域に根をおろすには時間がかかる。取りあえずは、古友達とのデート場所が「いつものとこ」として日常の暮らしに組み込まれた時、それが私にとっての「慣れた」になりそうだ。
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