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女友だち 木村栄
血と友情

 「女ともだち」を書いているせいか、時折、女の友情の風景を描いた本の情報が舞い込んでくる。
 『永い眠りにつく前に』(エリザベス・バーグ)もそのひとつ。
 かけがえのない友を亡くした体験を、その感情的な真実をしっかりと語れるような小説の形で書いて、女同士の友情の強さと癒しの力を実証してみせたい、と作者の弁にある。
 三十代半ばで知り合い、互いに生涯の友と認め合うアンとルース。数年後、末期がんを宣告された一人暮らしのルースに、アンは夫と娘のいる自分の家庭を犠牲にして献身的に尽くす。
 ルースの家に泊り込んで近づく最後を看取ろうとしていたある日、ルースが「兄の側で死にたい」と言いだす。「一人きりの兄だから。彼は私が生まれた時からいた人間よ、わかって」と。
 兄の申し出に、いつも「その気はない」と断っていたのに、である。
 普通に話せる間は友といる。死後は友の住むこの街で葬儀をし、友と選んだ墓地に眠る。でも死に逝く時は・・・。
 それがルースの決断だった。
 数日後空港へ送り、以後は電話で、話せなくなってからは「兄」に様子を聞いて、その時を待つしかないアン。
 私のワンポイント読後感は、この一点につきる。あれほどの深い友情に支えられながら、なぜ、ルースは最後の看取りを拒んだのか。
 友とは常に意思的に対峙する存在で、自分をコントロールできなくなった時の、むき出しの弱さや醜さ、恐怖や孤独をわがことのように抱き取ってくれる存在ではないということか。
 それとも、衰弱を見られたくない、看護に倦み疲れる友を見たくないというプライドか。いたわりか。
 状況は異なるが、私の周囲で老母を看取った娘たちの悔いを聞くと、あんなに邪険にしなければよかった、と異口同音の返事が返ってくる。娘が母親に心ならずも邪険にするのは、予め許されているという、無条件の愛への甘えと絶対的な信頼があるからだ。
 友情には、多分それがない。
 結局ルースは、甘えを排することで自らの生と死の尊厳を守り、友と友情を守ったのかも知れない、とも思う。

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