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女友だち 木村栄
写 真

 梅雨時に自律神経の失調をきたして体調が乱れに乱れた。高熱、全身紅鮭のごとき蕁麻疹、血圧の急降下、喘息、くの字になるほどの腰痛。原因不明の症状が次々に襲っては去る。
 どうやら風邪がまずいらしいと気づいて、蒸し風呂とクーラーを出たり入ったりの東京の夏を避け、懐のムリを承知でほぼ三週間の湯治を決行した。遠方での一人滞在は不安だから、場所は一番近くて便利な温泉場。当然のことに、友人たちが入れ替わり立ち代り覗きにきてくれる。
 私の部屋は、ベッド一つに三畳ほどの畳と物入れに収納したふとん一組がついて、臨時のツインにもなる。タダではないが格安だから、そこに転がり込む友、別に部屋をとる友、近くのホテルを取る友。
 絵を描くTもその一人だ。
 両方のホテルや近くの美術館などを散策しながらおしゃべりしているうちに、写真の上手いTに「葬式用の写真」を撮って貰うことになった。
 もちろん、軽い冗談である。
 だが、送られてきた写真を見て考え直した。よく撮れているのだ。
 溢れる緑の中に、私はうんとよく言えばこんな風かと思える私がいた。
 トシ相応に老けた胡麻塩頭とたるんだ皮膚に滲む、ささやかな人生への好奇心と愛。疲れてはいるが絶望してはいない、子どもっぽい眸。
 三十余年の付き合いで常に私の良さを見つけては励ましてくれたTのカメラの前で、私はただ私でいさえすればよかった。ありのままの私をさらけ出していた。その結果がこんな私なら、「ま、いいか」である。
 葬式写真などどうでもいいようなものだが、私は思うのだ。
 親しい人に最後の別れを告げる時は、自分を好きだと思える私でいたい。それが、いい人生を生きたといえる証になり、見送ってくれる人々への感謝にも癒しにもなる。
 私は私が好きでした。ありがとう、皆さんのおかげです。さようなら、と。
 葬式写真にこだわるのは、そういうことではないだろうか。
 最後の見栄を張る手伝いまでしてくれるのだから、誠に持つべきは友だ。

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