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女友だち 木村栄
最後の友情

 本コラムの「友情が壊れるとき」を読んだ友人から感想の電話がきた。
 「冒頭の『話し合えばいい』っての、あれは違うと思う。話せばわかるって簡単に言うけど、絶対にウソよ。世の中、話し合いで解決できないことの方が多いじゃない。恋愛も友情も、人間関係なんか特にそうよ」
 そして、自分の、問答無用で壊れた友情の例を話してくれた。
 親友と外国旅行をした。その途中、ホテルまで「タクシーで行こう」「バスに乗ろう」と意見が分かれた時に、友がふと漏らした一言に絶句した。
 「バスなんて貧乏人の乗るものよ」
 旅行中は何とか持ちこたえて、成田で「さよなら」したそうだ。
 成田離婚の友情版である。
 この場合もそうだが、問答無用の友情の終りは、大抵、互いの価値観が相容れないとわかった時である。確かに、価値観の違いは話し合ってどうにかなるものではない。どうにもならないからこそ、私も離婚をした。
 この人たちは、長いこと親しい友だちとして付き合ってきたのに、互いの価値観の違いに気づかないできた。或いは、薄々察しながら、核心に触れないところで話を合わせてきたのかもしれない。しかし、何かの拍子に地雷を踏んでしまった。そうと知った以上は「友だち」ではいられない。
 それはわかるが、だから問答無用でいいということにはならないだろう。
 娘が大学生だった頃、怖い先生がいると言っていた。講義の途中に教室を出てゆく学生がいると、他の先生は見て見ぬ振りでも、その先生はいつでも大声で呼びかけたそうだ。
 「出ていくなら、私の授業のどこが気に入らないのか、理由を言ってから行きなさい。それが礼儀でしょ!」
 友だちにも同じことが言えないか。
 問答無用で切られた方は、何故切られたのかわからない。せめて、理由を聞かせて欲しい。出口のない煩悶を抱えて生きるのは辛いものだ。
 理由がわかれば、和解はできなくても自分を省みる機会になる。「友を失った経験」を前向きに生きることができる。それが、一度は友だちだった者の、最後の友情ではないだろうか。 

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