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アフガンの歌 喜多悦子
戦争と平和 − アフガンのこれから その1

 2003年1月、今年の最初の国外出張は、また、アフガニスタンだ。

いままでの復習
 現在のアフガンの混乱に大きく関係するソビエト軍の侵攻は1979年12月だったから、今年はその25年目になるが、カブールではそんな式典などありそうな雰囲気はない。
 25年といえば、赤ん坊が大人になり、次の世代を持っていてもおかしくないだけの年月だ。実際、この間、多数のアフガン少年が大人になり、ムジャヒディーンとよばれるゲリラに変身してソビエト軍と戦った。西側世界からは対共産主義のプロパガンダと資金と武器、さらにアラブ世界からも反イスラム精神論と武器が流れ込んだとされる。今や諸悪の根源のようなアル・カイーダもこの時期に生まれたが、当時は情熱的な戦士として歓迎されていたはずだ。
 時勢を読むに敏なアフガンの人々は、当然のことながら、戦いの場から避難する。500万という数字よりも、一国の人口の1/3が避難するという事態に、当時はナイーブ、つまり初心の援助業者だったわたしは息をのんだ。だが、西のイラン、東のパキスタンに流出した、現在に到るまで世界最大とされる難民集団の人々はしたたかだ。その時代もそれ以前も、そして今もパキスタンへの人々の出入りは連面と続いている。国際社会がニュースにするか、しないかは別として、アフガン・パキスタン国境の両側はパシュトゥーンという民族性を共にする人々が、ある種の同朋意識とある種の対立意識と、共通する対外意識をもって共存する世界が存在していた上に、外部社会が吸い寄せた難民…でもあった。
 25年の間には、抵抗勢力を一掃できないばかりか、自国の屋台骨がゆがんだソビエトは消滅した。こうして共通の敵を失ったムジャヒディーン集団は、やがて仲間内で喧嘩を始め、立派な地域武力紛争を作り上げた。ソビエト侵攻時代、決して隅々まで統治していたとは云えないが、何とか国という格好を維持して親ソ政府の最後の首相が、無法化した聖戦士(ムジャヒディーン)によって、公邸前の広場で絞首刑に処された後、アフガンは何世紀も後返りしたみたいだった。無政府化した国土は無法と横暴がまかり通り、そんな中で生まれたタリバンは、最初、秩序を守ってくれるとして歓迎されたことなど、もはや誰も口にしない。やがてアル・カイーダが寄生し、そしてアメリカの空爆を受ける事態に到った。
 大多数のアフガンの人々にとっては、この経過を正確に把握し、分析など出来てはいまい。だが、その責任は、一握りであっても、やはりアフガンの人々にあるとも思う。
 事を大きくしたのは外部のおせっかい、不当な介入だ。この途上国の混乱に共通の現象は、この地で云えば、数世紀にわたる帝政ロシアと大英帝国のthe Great Game(大ゲーム)であり、現在は中央アジアの天然ガスをめぐる外部の駆け引きと麻薬、武器の流通めぐる闇市場がそれにあたる。
 だが、表であれ、裏であれ、外部勢力が跋扈するのは、その外部と結託する内部があることも事実だ。いつも、一握りの内部が外部と手をつなぐ理由は権力であれ金力であれ、人間の欲なのだ。

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