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アフガンの歌 喜多悦子
 戦争と平和 − アフガンのこれから その2

アフガンの明治維新
 今回のアフガン訪問は、カブールで開かれるユネスコ関係の識字教育の会議参加が目的の短期間の旅だ。わたしには、昨年3月のカブール、ジャララバードそしてヘラート以来だが、アフガンは、この10ヶ月間に100年とは云わないまでも、30年や50年に相当する変動があっただろう。明治維新・・・である。
 今までのパキスタンのイスラマバード発の国連機を使った。
 カブール空港は、まだ、長い紛争と2001年来のアメリカの空爆による飛行機の残骸、瓦礫になったままの倉庫などが残っているが、今までとは違い、大きな機体にアントノフと記されたアゼルバイジャン バクー行きの便や、懐かしいアフガン国営航空‐アリアナ‐の727が並んでいた。
 1989年、はじめてここに足を踏み入れた時は、反政府ゲリラの攻撃を避けるために煙幕を巻いた後、直角に…、といってもいいほどの急降下で空港に降りた。そして空港ビルで、ポーランドからというやせたPKO兵士と言葉を交わした直後に、そのビルに銃撃があった。その空港ビルの傍には、新しい国旗が翻っている。PKOの代わりにUN…と大書したトヨタランドクルーザーが何台も空港前に並んでいる。あまり目立たないが、確かにISAF(国連監視軍)の車もある。
 男性の民族衣装−シャルワール・カミーズ−姿は激減し、あまり上等には見えないカーキ色の軍隊か警察風の制服やスーツが増えている。ブルカを被っているにせよ、女性の姿も多い。そして、それは颯爽とみえる。何よりも、誰もがおびえていない風に見える。銃は見えない。
 道筋には、小さな車つきの屋台が並んでいる。色鮮やかなミカンやりんご、少ししなびた小さなバナナ、それに大根、ジャガイモ、キャベツ、ほうれん草、赤カブが盛り上げられている。少し大きな店には、皮をはいだままの羊や足だけ、お尻だけに解体された肉がぶら下がっている。首のない皮付きの鶏が十数羽も並んでいる店もある。男性も女性も、自由に買い物できる。中古というより、大古といいたほどのポンコツ日本車が道を埋めている。その中を、白地にUNとブルーで大書した国連の車が分け入ってくる。現地風の名前や、Japan、Asia中にはハンバーグなどという名前の仲介業者がひしめく車市場には、さらにさらに数え切れないほどの日本車が並んでいる。
 有名なChicken Street(ニワトリ通り)もFlower Street(お花通り)の土産物屋も、その昔のように、途方もない値段を吹っかけるゲームを楽しんでいる。カブールの人々、いやアフガンの若い世代には、経験したこともない平和な、良い時代、なのだろう。

兆す不安
 だが、私には、この街、この国の根底の何かが変わったとは感じられないのだ。なぜかは良くわからないが、本当に変わるべき芯のようなものは、まだ、溶けていない。
 今回の会議は、non-formal(公的でない)識字教育についての会議だが、まだ、男の半分強、そして80%以上の女性が読み書きできないということと、わたしの中にわだかまっているこの国の不穏さは関係があるように思える。つまり、これらの人々は、今は「平和」を享受できているにせよ、読み書きができ外国も知っている権力者か、あるいは教育の代わりに武力で権威維持をはかる武力集団のボスか、さらにかつてはムジャヒディーン幹部だったが、今は新しい為政者に変身しているような、いずれにしても「指導者」の意のままに流されるのである。
 あとで、書くことになるだろうが、たった45分ほどのみ時間飛行期間に驚くことがあった。1月とはアフガンの厳冬の時期である。その時期、山に雪がないのである。荒涼と広がる薄茶色の岩山を見下ろしながら、私は暗澹たる気持ちになった。紛争の後、アフガンは、大規模な旱魃、水不足に襲われることが確実だ。

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