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アフガンの歌 喜多悦子
青 空
青空(2)――突然の銃声
 休日、イルマと私は、朝、昼、夜の食事時に、大邸宅の真ん中あたりの食堂で顔を合わす以外、建物の両端に分かれて仕事をするのが通例であった。まだ、ノートブックタイプのパソコンなどなかったが、2人とも、Toshiba Laptopを愛用していた。とはいえ、しばしばの停電が仕事を中断させた。

 4月上旬、イスラム圏では休日の金曜日であった。調子よく報告書をまとめていたのに、ブチッといった感じで電気が切れる。 急いで、ラップトップをセイブする。 もう少しなのに、ヤレヤレ、この時間の停電は長い・・・、と私は庭にでた。昼のアザンが、どこからか風に乗ってきこえる。はるかにきこえる祈りの声は、宗教の如何を問わず、心地よい。 背丈を超えるほどに延びたスウィートピーが風にゆらいでいる。その向こうからから、イルマが現れた。

 「Hi!! What's a beautiful sky!!(ネェエ、何て、美しい空かしら!!)」と彼女はいった。 思わず、私は天を仰いだ。
 あおぞら、アオゾラ、青空、蒼空、碧空・そのどの字でもないが、真っ青な空が広がっていた。雲の一片もなく、その他、どんな色のかけらもなく。
 「ウゥーン・・・」と、私は声にもならぬ返事をした。
 イルマは、いつもの首にかけている、髪の毛と同じグレー系の、皺しわのチャドルの両端を持ち上げて、空に泳がせつつ云った。
 「ネ、これまでblueに染まっている・・・」
 「ウゥーウン、それは違う。空は、そんなによごれていない・・・」と、私は云いたかったが、逆に、大きくうなずいた。

 「My dear(ねぇ)、今まで見た中で一番の青空はどこだった?」と、彼女は、たずねた。
 「あなたは?」と、私。
 「そうネェー・・・」
 イルマは、夢見るような表情で、空を仰いだ。指を軽く組み、ひとさし指の先を、かるく打ち合わしながら、目を閉じた。
 「あれはニカラグアだったかしら・・・。 そう、サンディスタ国民開放戦線(1970年代のニカラグアの反政府軍)が蜂起し始めた頃、マナグア(1846年にレオンから移転したニカラグアの新しい首都)に旅行した時、それはそれは美しい青空だった・・・。 けど、それからあの国は、社会主義化し、コントラ(1980年代、ニカラグアの社会主義政権に抵抗した右派反政府武装集団)との内戦が続いたのよね・・・」

 イルマは、しばし沈黙した後、アフリカに飛んだ。
 「それとも、エジプト。そう、やっぱりエジプトよ。あれは、1980年か81年、サダト大統領が暗殺された頃、私は、エジプトにいたの。 ナイルの上の青空は、クレオパトラの時代と同じように広がっていたし、王家の墓でも、美しい青空だった・・・」 イルマの目の前には、エジプトの王家の谷が見えているようだった。

 やおらして、正気に戻ったように彼女はたずねた。あなたの青空はどこ?」

 「北京秋天という言葉があります。」と私は始めた。
 「中国は旧暦です。8月のある日、立秋がきます。もちろん、月の動きで決められているのですが、その日を境に、何故だか、北京の空気は、本当に凛とします。そして、故宮の屋根の瑠璃瓦の色は、本当に、昨日とはちがって輝いて見えます。北京秋天というのを実感しました。以前、研究者として滞在したアメリカのノース・カロライナでみた、地平線までのタバコ畑を覆う青空も壮大でしたが、私にとっては、はじめて働いた途上国、中国の青空を、私の青空と云いたいと思います。」

 停電は、もう終わっているかもしれないが、私たちは、のんびりと青空談義を楽しんでいた。と、地響きがした。
 「何だろう?」 私たちは、顔を見合した。

 強くなりかけた陽射がまぶしい空は、真っ青であった。 私たちは、沈黙したまま、空を見上げていた。

 電話のベルがなった。
 「大丈夫? 空港のそばにミグが不時着したらしい。でも、もう軍隊が出ている。」と、事務所のスタッフからの通報であった。
 「いずれにしても、今日は出歩かない方が良い・・・」と、電話は切れた。
 数発の銃声がして、後は、また、静寂にもどった。

 私の命、あなたの命、ミグに乗っていた人の命も、程遠くないところにある、いくつかの難民キャンプにいる人々の命や、彼らの故郷アフガンの人々の命も、パキスタン人の命も、コロンビア、エジプト、中国そして日本やアメリカの人々の命も、みんな同じなのに・・・。 イルマは、そう云って、背中を丸くして部屋に入っていった。


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