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アフガンの歌 喜多悦子
アフガンの男(1)

 アフガニスタンといえばオンナという感じがある。特に、女性への圧制を強いたタリバン以降、アフガンあるいはアフガン問題と云えば、女性と云ってもいいほどだ。だが、アフガンには男もいるし、女性の問題であれ、アフガンの問題であれ、その原因の全てといっていいほどの根源が男にあるのではないかと、わたしにはみえるのだが、2001年9月11日以降のアフガンはオンナでなければ話が始まらない国だ。

タリバン時代の女性抑圧
 確かに、かのタリバン時代の女性抑圧は異様だった。
 何世紀も時代が逆戻りした。ムラー・オマルの指令として、女性の行動を制限する指令が次々と発せられた。曰く、女性は一人で外出してはいけない。曰く、女性は働いてはいけない。曰く、女性は学校へ行ってはいけない。

 わたしが世界保健機関(WHO)に勤務したのは、その極期だった。1997年秋頃から、国際機関や外国のNGOに働く、非モルレムの女性に対しても、どんどん規制が強まった。WHOに勤務するバングラデシュの女性はモスレムであったため、ブルカ(目の前だけがメッシュになった、頭から被るマント)を被らずに出歩いてはならないとの指示に続いて、外出には、夫か身内の男性と一緒でなければならないとの命令後、アフガンを離れた。仏教徒とであるわたしは、ブルカの着用こそ命ぜられなかったが、カブールで仕事をする際、常に頭にはスカーフの類をかけ、出来る限り、一人身の外出は控えねばならなかった。理不尽だと思ったが、そのことで問題を起こすと、WHO全体の仕事に支障が生じることを恐れ、なるべく、ことを荒立てないようにした。言い訳といえばそうだが、当時は、その不合理さを指摘したり改革したりすることが仕事ではない、と考えるようにしていた。つまり、実態すら把握しかねている地方の人々、特に女性の健康対策が自分の任務と、自分を納得させていた、ような気がする。そして、そのために会わねばならないのは、タリバン政権の高官というわけだ。

タリバンの主張の矛盾
 彼らは云う。女性は、女性の医師にしか診察を受けてはならない、と。そして、一方では、オンナは学校に行くなという。では、現存する女性の医師が、全員、年老いて死んでしまったら、どうするの?と、わたしは尋ねた。女性には女性の医師という掟と、女性が学校に行けないという、あなた方の掟は矛盾しているでしょう。将来、あなたの娘や妻が病気したらどうするの?あわてて、女性の医師や看護師を養成するったって、まず、女の子が勉強するには、女の先生が必要なのに、その先生も居ないんじゃないの!!と迫ると、まことに戸惑った顔つきになる。わたしの相手になっている、その人に責任があるわけではなくので、わたしも一緒に戸惑ってしまう。何度か、そんな対話をしていると、自らの「掟」の理不尽さに気づいている人もいるような気がした。

怨念が立ち上る
 いずれにしても、タリバン時代、カブールではカメラ使用も厳禁だったが、街には、女性は云うに及ばず、男性の姿もまばらだった。今で云う北部同盟とタリバンの首都攻防で破壊されたからではなく、自由を奪われた街は死んでいた。扉や窓ガラスの代わりにダンボールの切れ端や、ぼろぼろの布やビニールを張り合わせた粗末な家々は、人々が息を潜め、怒りを抑えて耐えており、暖をとったり煮炊きしたりするものもなく、家々からは、煙の代わりに怨念が立ちのぼっているように感じた。
 とは云え、当たり前の話だが、すべての男が極悪、残虐で、女の迫害だけがすべてであったわけではない。無知であったかもしれないけれど、無慈悲ではなく、戸惑いを隠せぬ男性も多数いたはずだ。何人かの、頑固親父が、身の回りの些細なことで、女性非難を始めたことがきっかけで、事態がどんどんエスカレートしたような気もするが、一方には、日本にもいる「か弱きオノコ」で、しっかり、母親に抑えられ、奥方に締め上げられているヒトもいた。
 しかし、実は、女性抑圧の状況は、外部のわたしたちが知っているか知らないかにかかわらず、また、タリバンの存否にかかわらず、それ以前にもあったし、そして、今も、完全に解決したというのは程遠いことも事実だ。10年にわたるソビエト侵略で、多数の人々が国を離れた難民キャンプの中でも、その後の祖国の内なる混乱の時期にも、そして、もっともっと昔、1926年頃、開明派国王アマヌラの末期にも、反動的に女性への抑圧が強化された。
 いずれにしても大多数のアフガン男性は、ごくごく当たり前に、家族と家庭を心配しているのである。が、肉体を破滅させるには少数のガン細胞で足りるように、ごく少数の極悪人が、その社会の質を決め、取り返しのつかない状態にいたらせてしまう。思い返せば、ソビエト軍が居座っていた時から、タリバン支配下、そしてカルザイ時代まで、私が一緒に働いたアフガンの男性は、偉大なひげの有る無しにかかわらず、常時、銃を手にしているかどうかにかかわらず、みな、心優しき紳士であった。彼らが、猛々しいムジャヒディーンに化するのは、明らかに自分たちの文化を破壊するものに対してであり、また、自分やその家族、一族の面子を侵すものがある時である。彼らが、神の名において、無私、恐れを知らぬかのごとく戦う時は、それはそれは恐ろしい力となるのである。


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