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アフガンの歌 喜多悦子
ダウド(1)
 ダウドにはじめて会ったのは1989年1月末のことだった。 パキスタンとアフガニスタンの国境沿いの部族地域に居を構えるゲリラ、現地ではムジャヒディーンとよばれ、当時は反共のために戦う聖なる闘士と、西側世界があがめていたひとりのボスを取材したいというイギリスのメディアに同行した時だった。1979年12月、東西冷戦の極期、アフガン王族内の権力争いに乗じて、たった3日間で、アフガニスタン全土に軍事侵攻し、それがために世界最大の難民集団をつくったソビエト軍が、まもなく、撤退を完了するという時期でもあった。

ダウドとの出会い
 蒼穹というに相応しい、青一色のあざやかに輝いた空の下、左右にゆれ、上下にはねながら車がたどり着いた先は、木一本生えていない小高い岩山を背景に、岩石だらけの荒地の中に聳え立つ土壁にかこまれた巨大な一軒屋というよりは要塞であった。その土の城は、高さ6、7メートル、1辺が7、80メートルもある土の塀からなっていた。土の持つ柔らかな印象とは裏腹に、塀の各所には物見櫓があり、そしてそこかしこには銃眼も開かれていた。巨大なパラボラアンテナが、ふつりあいにかしいでおり、そのアルミの柱に結び付けられた布が、威勢良く、風にはためいていた。
 一辺の、真ん中にある巨大な鉄製の門が、揺らぎながら開かれ、訪問者の3台の車がその中に入る。中庭には、ソビエト製のオンボロトラックが1台、トヨタのピックアップが3台、パジェロが2台あったが、それでも、訪問客の車の何台も止める場所はたっぷりあった。貧相な野薔薇が、小さな花をつけている花壇の周囲は、やがて巨大なジャングルになるであろうスウィートピーが勢いよく茂り、その向こうには、ほこりを被った観葉植物の大きな植木鉢が多数、雑然と並べられていた。
 庭の一角に広げられていた粗末な敷物の上に、総勢20名ばかりの男が集まり、インタビューが行われた。チトラール帽とよばれる、つばのないハンチングのような帽子を被ったボスは、この地ではあまり見ないカイゼル髭。周囲の男たちは、小さなコック帽姿、チャドルをまとった者、いずれもさまざまな髭をたくわえている。
 どこかで肉を焼いている香りがし、子どもの声が響くが、女の姿は見えない。この伝統的な生活ぶりが、イスラムの掟の故かどうかは、今でも判らない。
 インタビューが終わって、食事がはじまった。ヒゲ面の男たちが、手際よく、大盆にもった料理を敷物の上に広げる。油が滴る羊の焼肉、サフランで色づけした混ぜご飯、新鮮な野菜と色鮮やかな果物。周囲の荒涼とした風景からは想像もつかないご馳走だ。
 時を見計らって、女性コーナーを訪問させて頂けないかと、ボスに頼んだ。ボスは、まだ、髭の薄い、一人の青年を呼んで、中庭の一角にある小さなくぐり戸に送った。それがダウドだった。
 ダウドは、少し英語が話せた。私は、彼と並んで、アフガンの粋を凝らした食事を楽しんだ後、女性コーナーを訪問させてもらった(この話、また、別に)。男たちは、明るく、饒舌で、2、3の外国人女性を退屈させないすべを心得ていたが、時折、傍らのカラシニコフを、さらに、身近に引き寄せる習慣は忘れてはいなかった。

山の上の蜜柑を射落とす
 食後の余興にお招きするとボスが立ち上がった。門を出て、岩だらけの道ともいえぬ道を、5分も歩くと、低い岩山の下につく。ボスの命によって、一人の男が鮮やかな色の蜜柑を山の上に運ぶ。 その色が、あるかなきかに判るほどの位置に蜜柑が置かれると、下で待っている射撃手が、それを狙う。岩だらけの、斜面を、誰もが飛ぶように登り降りし、誰もが、たった一発で蜜柑をしとめる。 余興というにしては、いささか刺激が強すぎ、訪問者は声も出ないが、この地の人々は、蜜柑が吹っ飛ぶたびに騒ぐ。
 ダウドも、もちろん、射撃した。他の男が軽々と扱うカラシニコフを、重たげに構えて、透き通るような白い肌を紅潮させて、息を止めて、引き金を引いた。誰も彼も、失敗が許されない状況で、まさに戦場で敵と対面している緊張感があったようだった。

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