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アフガンの歌 喜多悦子
アフガンの男(2)

カルザイ大統領とその仲間たち
 2003年2月、アフガン安定化会議のために、再度、訪日したカルザイ大統領と会う機会があった。多分、もっとも心優しきアフガン男性のひとりであろう。
 大統領を招いての昼食会に加えて頂いたのだが、大統領は、例の緑を基調にした縞模様のカルザイコートを羽織って、外務大臣アブダラ・アブダラ氏以下、数名の閣僚を引き連れて、会場の和食レストランに現れた。率直に云って、剛毅なムジャヒディーン、素朴だが荒くれオトコで、銃を持たせるとさまになるというアフガン男性ばかりを見てきたわたしには、なんとも迫力のない、「エッ!この人、アフガン人??」というのが、第一印象だった。後に控えしは、つい昨日まで、というのは云いすぎだが、暫定政権入りまでは、絶対に銃を離さなかったであろうアブダラ外務大臣。これぞ、アフガン男児だ。
 官房長官は大統領と同じくパシュトゥーン人、外務大臣はタジク、そして・・・と、外部が色分けするから、いつまで経ってもアフガンの人々が単一アフガン族になれないのは、わが国の政権党の派閥と同じではないか、と思う。アフガンに関わりだすと、必ず、民族性とその領地を覚えさせられる羽目になる。そして、例えば、パシュトゥーン族でも、色々、小派閥があって、それぞれ、その派閥を率いる部族長がいる。ギルザイとか、ジラニとか、慣れてくれば、名前を聞けば、どの地域の、どの程度の権力者かが判るのである。多分、徳川時代の、大名と家臣のような構図であろう。
 大統領や外務大臣に比べて、はじめての訪日組らしい随行員は、みな、お箸と小ぶりの器に悪戦苦闘の体で、多分、ご馳走を十分堪能している風ではなかった。アフガン料理は、その男性気風と同じく豪快だ。どんな料理でも、大体は、大きな皿にドバッと盛り上げる。代表的なアフガンライスなど、その中に、羊の足の骨がゴロゴロ入っている。高価であっても、日本食用のちまちました容器に、ほんの一口分の旬の料理が入っているのを、どのように食べればいいのか、多分、カラシニコフライフルを扱うより難しいといった風にお見かけする人もあった。

丸腰の指導者が成功するか
 カルザイ大統領は、多分、銃を持って争ったことのない、稀有なアフガン人であろう。そして、だからこそ、平和を目指すアフガンの新しい指導者に選ばれたのであろう。しかし、かつてのソビエト軍とのゲリラ戦に命を張ってきたムジャヒディーンたち、取り分け、そのボスたちには、受け入れがたい人選であったかもしれない。では、なぜ、そのような人が新生アフガンの指導者に選ばれたのだろうか?
 湾岸戦争のピンポイントだけだなく、2001年9月11日後のアフガン空爆では、オサマ・ビン・ラディンこそ取り押さえられなかったが、嫌というほどアメリカという外部の軍備力の威力を見せ付けた。かつてのソビエト軍は空軍による攻撃もあったが、大概は、量こそ比較にならないものの、ゲリラ戦術をとる彼らと同じように、地上に居たし、同じ歩幅で歩いていた。だが、2001年10月に始まったアメリカ軍の空爆は、見えないほどの高度から、追いかけられない速度の攻撃機から、きわめて正確に、また、逃げても逃げても執拗に目的を捉える、今まで見たこともない武力であった。その威力に抵抗することは死を意味すると理解したのであろう。国際社会という、捕らえどころのない、したがって具体的な敵には強いが、目に見えない圧力を突破する手段は、少なくとも、ナイーブなアフガンおとこには考えつかなかっただろう。
 カルザイ大統領の権威が、だから、ISAF(国際平和監視軍)の武力と平行しているとみなされるのは当たり前だ。しかし、その武力者ではない、「丸腰」の指導者がその任をまっとうできなければ、国際社会が何を支援したとしても、この国の復興も将来の安定もあり得ない。
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