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アフガンの歌 喜多悦子
ダウド(2)
ダウドとファールク
1週間後、日本のメディア取材に同行して、カイバル峠に立った。ちょうど、ヒゲ男を満載したトヨタピックアップが到着し、ワラワラと人が降りていた。先に訪ねたムジャヒディーンの一族という人々の中に、相変わらず、顔色の悪いダウドがいた。
「オレの従兄弟、ファルーク・・」と、同じ世代ながら、精悍な顔立ちに、立派な八時髭の青年を紹介した。
「こっち、パキスタンにきてから、あっち、アフガニスタンへは、戦いのためにしか帰っていない」と、彼らは云った。
「帰りたいの?」
「戦いがなければネ」 二人の青年は、顔を見あわせて、小さな声でつぶやいた。
わずかの時間、わずかの対話をして、私たちは別れた。
ソビエト軍が撤退した後も、アフガンには平和はこなかった。復帰すべき国土をめぐる権力あらそい、援助物資をめぐる争いが激化した。まだ、存続していた共産主義ナジブラ政権との葛藤もあった(ソビエト軍が撤退すれば、アフガン復興が始まるという)。国際社会の思惑とは異なり、ほとんど、難民は帰還しなかった。

1989年4月。つかの間の春が訪れたペシャワールの街は、国境の向こうで、再び三度勃発した部族間の争いによるけが人が殺到した。ある程度の規模のある病院は云うに及ばず、小さな、粗末な診療所も、外科系であれば、手足をもがれた男たちがうめいていた。赤十字国際委員会の、前線病院も、庭先にテント病棟を増設して、運び込まれる、大多数は男性の負傷者を収容していた。車で通りかかると、その中に、顔面蒼白のダウドがいた。
私は、行き過ぎた車を戻すように運転手に頼んだ。車を降りる前に、ダウドが私に気づいた。
「どうしたの?」
「ファルークがやられた。 ダメかもしれない・・」
「あなたはどうなの、そんな青い顔をして」
「・・・」
無言のまま、ダウドは、他の男たちと病院の中に消えた。
わずかの期間に3度も言葉を交わしたアフガン青年のことが、私は気になりはじめた。事務所のパキスタンスタッフに話すと、「そんな若者はゴマンといる。あなたが気にすることではない。」という。そんなことは判っている。私が、気にしても、しなくても、アフガンはその定められた運命の通りにしか動かない。私たち、他人には、何も変えることは出来ない。
時折、雇って欲しいと勤め先のユニセフアフガン事務所に押しかけてくる人々もいた。アフガン人だけでなく、パキスタン人や、欧米のNGO、時には、仕事を探しているというヨーロッパ人医学生の訪問もあった。ダウドが、どこかで働くところはないのだろうか、どこかのNGOが英語を話せるアフガン人を探していないか・・・などと、ぼんやり思った。とはいえ、私は、彼に連絡するすべもなかった。

「日本に行きたい」
「ドクター!!!!」
事務の係長格で、滅多に慌てないヤシンが、部屋に飛び込んできたのは、それから数日後の夕方、もう、事務所を閉めようとする時間だった。その後ろから、一段と蒼白なダウドがよろめくように入ってきた。ダウドは、すすめられても座ろうとせずに突っ立ていたが、ヤシンの、やさしいが、きっぱりした命令のような勧めかたには逆らえないといった風に、腰を下ろした。そして、いったん、椅子にかけると、身体中の緊張がとけたようにだらしなくなった。
「チャイを・・」 
気を利かせたスタッフが持ってきた甘いミルクティーが、ダウドの正気を戻したようだった。
「日本に行きたい・・・」
「何でもする、どんな仕事でもするから、日本に行けるようにして欲しい・・・」
ダウドは、何度もそういった。
「もう、戦うのは嫌だ。身内の何人が殺され、オレたちが何人を殺せばいいのか ! !」
ダウドに何があったのか。ファルークは亡くなったのか。たずねたいと思ったが、言葉が出てこない。ダウドは、まわりに人がいないように、ぽつりぽつりと話していた。私にではなく、ヤシンというパキスタン人に。
今度の戦いは、今までになく激烈で、誰も彼もが銃を手にしている。戦うことは、一族が生き延びるためには必要で、銃を取ること、それは男としての義務で、誰も一族の掟を破ることは許されない。父も、叔父の何人も、命を失った。そして、母や祖母は、復讐をけしかける・・・ でも、誰を殺せばいいのか。自分には、もう、銃を持つ気力がない、とダウドは話した。英語ではなく、現地の言葉で。ヤシンは、もう一杯のチャイをすすめ、静かに、穏やかに若者の話に相槌を打っては、私に、黙っているように目配せした。
今も、これからも、命じられれば、戦うだろう、戦いの場には行かなければならない。だが、もう、今までのように人を撃てない。だから、もう、自分も、自分の一族も護ることは出来ない。
「銃を売る。カラシニコフ銃を、何丁でも売る。それで、旅費をつくって、日本へ行きたい・・・」
合間に、まるで夢を見ているように、ダウドは繰り返した。戦いの話、殺しの話は現地の言葉だったが、時々、英語が混じった。
話したことが、少しは気を安らげたのか、彼は立ち上がって、云った。
「今日は、帰らねばならない。 また、来る」と。
無言のまま、私は、少しごつごつした彼の手を握った。ダウドは去った。
恐らく、それほど民族の差のない彼の話を、静かに聞いて、そして、私に通訳してくれたヤシンに、私は礼をいった。言葉にならない怒りのようなものが、残った。ヤシンは、静かに云った。
「彼ひとりの問題ではありません、ドクターエツコ。あまり気になさるな。だが、あの青年に神のお加護がありますのように、インシャラー」

青空の果てに
湾岸戦争が起り、7名のゲリラのボスがプロイラクを宣言した後、アメリカはアフガン援助を激減させた。内戦は激化の一途であった。私は、再び、ダウドを見ることのないまま、日本に帰った。
その後、私は政府間援助のために、何度もパキスタンを訪問した。タリバンが勃興し始めた時期にも、ペシャワールにいた。その後も、WHOスタッフとして、原理主義政策を強めるタリバン支配下のアフガンにも入った。タリバン高官たちとも話しあった。アフガンの人々が集まっている写真を見ると、つい、探してしまう。
アフガニスタン。一体、何が、この国を破滅に追いやってしまったのか。悪いのは、タリバンだけなのだろうか。ダウドという、あの青年は、何のために、アフガンに生れたのか。生きている筈はないとも思う。 が、生きていて欲しい、と願う。何故、あの時、強引に、引き止めなかったのか。
今も、青い空が、要塞のようなムジャヒディン屋敷、そしてダウドにつながっている。

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