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アフガンの歌 喜多悦子
アフガンの男(3)

カルザイ大統領のスピーチ
 2002年2月のアフガン支援東京会議でのカルザイ大統領のスピーチは、何よりも、人々の心を動かしたはずだ。「わたしは、今、東京で、こうして美味しい食事を頂いている。しかし、この間にも、わたしの国では、子どもたちが苦しんでいる」と。
 アフガンの男たちも、好きこのんで人殺しをしてきた人ばかりではない。自分の家族、一族、領地を守るために、そして依って立つべきイスラムを否定するものを許さないために武器を取ってきただろう。だが、今までの、そして今も何人かはそうだが、アフガンの指導者には武力が第一だ。そして、だからこそ、そのような人々には、あのような切々とした語りかけは考えもつかなかっただろう。世界中の人々が、アフガンの現状を知り、支援を惜しまないことによって、この国の復興と人々の安定した生活が可能になるのだが、その支援を得るために、もはや武器は要らない。
 食事をしながら、わたしは、わずか1年前の、そのスピーチを思い出していた。
 その後、すっかり有名になったカルザイ・ルックの大統領は、何度も国外に出て、何度も何度も各国の要人と美味しい食事を摂るであろう。その際、何を思っているのか。

 あれから、わたしは2度アフガンに行った。「有象無象の外国人がたむろするようなカブールは、もう、アフガンじゃない!!」と、伝統的なジイサンたちも、バァサンたちも思っているだろう。
 首都だけでなく、20年以上も、自分の領地をゆるぎなく支配し続けている古典的な軍閥の長のひとりイスマイリ・ハーン「将軍」のヘラートや、同じような、しかしもう少し小規模な 「warlord(軍閥の長)」が割拠しているジャララバードにも入った。
 何でも、外来のモノを取り込んでしまうのが日本の特徴とするならば、この中央アジアの内陸国アフガニスタンは、その対極にある。旧ソビエト製または最新のアメリカ製の武器と、日本の自動車以外、ほとんど外来のものを拒否してきたアフガン。しかし、なんとも興味深いこの国との私の付き合いは、もう、16年になる。

主体は国民自身
 貧しさにかけては、また、その混乱振りにかけては、世界でも有数のこの国の人々は、昔から、外国がらみの政治や権力争いに翻弄されてきている。その昔、ロシア帝国の南下策と東インド株式会社を管理する大英帝国の西進策がぶつかった、the Great Game (大ゲーム)時代から、常に、どこかの国がチョッカイを出している。いや、チョッカイを出されている、といった方がいい。しかし、その原因は外の誰のせいでもなく、内なるアフガンの、少数の権力者にある。
 最近では、開発協力分野で、途上国の「governance(統治/管理体制)」を問題にするが、そんなことは、身の回りのある家をみても、勤めている企業一社を見ても、当たり前のことだ。事態を悪化させる要因は外にあるにしても、問題そのものの種は、なんと云っても、その家、その企業、その国にある。そして、その犠牲になるのは、力を持たない多数者、すなわち家族や社員や国民だ。
 2001年9月11日の出来事は、世界を変えたが、最も早い、そして大きな変化を受けたのはアフガニスタンだろう。何せ、当時の政体はなくなったのだから。
 しかし、それ以後の、また、それ以前のアフガンをみても、外の誰かではなく、ことの主体はアフガンの人々であることも事実だ。
 古くから微妙な対立関係にあった隣国パキスタンの庇護があったとはいえ、何世紀も歴史を逆転させたような政体をつくり、世界を変えた事態を引き起こしたオサマ・ビン・ラディンをかくまったのはアフガン人のタリバンだったし、旧ソビエト軍が10年にもわたってアフガンに居座ったきっかけは、当時、権力争いに明け暮れていたアフガンの政権担当者であったが、その後の対共産勢力とのゲリラ戦いを耐え抜いたのも、アメリカという巨大武力を受け入れたのも、結局はアフガンの人々である。

はじめての「平和」
 だから、国際社会という外部圧力のなかで、国際社会のお膳立てがあったにしても、2002年6月に開催された伝統的民衆集会ロヤ・ジルガがまとまったことは、画期的だと、わたしは思っている。アフガンの人々が、自分たちの意思で、はじめて曲りなりにも、「国」全体としてまとまったのだ。
 今のカブールの街は、多分、この国の若者には、はじめて、肌で感じる「平和」、「武力対立のない社会」が感じられるところだろう。すばらしいことだ。以前は、銃を持ったオトコが闊歩し、みるからに強そうなムジャヒィデーンがあたりを睥睨していても当たり前だったが、今は、もう、銃を持たない方が似つかわしい街だ。治安はISAF(国際平和監視軍)が担当しているから、みだりに銃を持つことは取り締まりの対象になるのかもしれない。しかし、銃を持って歩く人自身が違和感を持ちそうな、そんな雰囲気すら、昼間のカブールにはある。この街は変貌した。といって、この国の復興や再生がそれほど簡単なことだと楽観してはいない。何か、まだ、一触即発的な雰囲気も強く強く感じさせられる時があるのだ。

DDR
 国連やわが国は、今、この国の再生のためにDDRという武器一掃、元兵士の社会活動復帰を支援している。DDRの最初のDはdisarmament(武装解除)で武器を供出させること、次のDはdemobilization(動員解除)で紛争要員として働かないようにすること、最後のRはreintegration(社会復帰)で兵士が平和的な社会活動に復帰する支援を意味する。この立派な理念は、いくつかの紛争国で推進されている。
 だが、考えてみると、ことはそう簡単ではないはずだ。平和になったといったって、本当は、他人任せの借り物の治安維持状態だ。何せ、20年もドンパチが続いていた国、国民の多くが難民となった経験を持つ。もし、私が10個の武器を持っているとして、ホイホイと武器を供出する気になるだろうか。
 武器を差し出すことで、幾許かの現金が手に入り、仕事にもありつけるかもしれない。地域の長老、ムジャジッド爺さんの顔も立てねばならない。街は落ち着いている。横暴なムジャヒディーンもタリバンも消えた。
 だが、だが、である。私と一緒に戦ったファルークも、モハマッドも、アリも、沢山、たくさん武器を持っているのに、誰もそれを差し出そうとはしていない。
 私は、悩むだろう。そして結論を出す。すぐに10個全部の武器は差し出せない。特に、9月11日以後、タリバン討伐に参加した時、アメリカ軍がくれた新しいマシンガンは出せない。何千発も弾もあるし、これは持っておこう。まず、もう使うこともないエンドルフ銃と命中率のわるい中国製のピストルを出してみるか・・・・
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