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アフガンの歌 喜多悦子
グルブディーン・ヘクマティヤール その3――あるアフガンゲリラボスのこと

孤立するヘクマティヤール
 ヘクマティヤール邸の警備強化の過程は、彼の孤立してゆく時期と並行していたようだ。88年秋頃、シャルワール・カミーズ姿にサンダル履き、とりあえず、カラシニコフ・ライフルは持っていたが、割合、のんびりムードの門番がひとり、ぶらついていただけだった。ソビエト軍が撤退し、敵がいなくなったのに、89年春には、2メートルはあった塀の上に、さらにレンガが積み上げられた。次いで、その上に有刺電線が張られ、間もなく、邸宅の四隅に大きなランプが据えられ、夜な夜な、四方を煌々と照らすようになった。やがて、ランプの横には、歩哨台が据えられ、いかめしい顔つきの番人が立つようになり、大きな鉄製に変わった門前には、手榴弾入りのベストを身にまとい、常にライフルの引き金に指をかけたガードが立つようになった。

 アメリカは、アフガンに侵攻したソビエトと対決する勢力としてムジャヒディーンを支援した。何故、ヘクマティヤールが重視されたのか、本当のところ、判らない。一方、2001年9月9日、同時テロの2日前、取材を名目にした自爆テロで暗殺されたパンシールのライオンこと、マスードには、ほとんど、アメリカの援助はなかったという。誰を、どのように援助するかの判断過程において、単に、情報がなかったのか、何か、約束があったのか・・・

 結局、ソビエトは消滅したから、アメリカの目論見は成功したのかも知れないが、手塩にかけたはずのヘクマティヤールは、多分、アメリカを苛立たせることばかりだったはずだ。

 1989年2月、ソビエト軍は完全にアフガンから撤退した。とはいえ、アフガン人にも、パキスタンにもアメリカの誰にとっても、明確に勝利したとの想いはなかっただろう。アフガンには、ペシャワール派が期待したイスラム政権は生まず、ソ軍、共産主義という共通の敵を失った彼らの権力争いが始まり、ヘクマティヤールは、常に問題を起こしていた。パキスタンは減少する援助やドーナーの関心の薄れもあって、難民を持て余しだしていた。が、難民は帰国しようとはしなかった。祖国へ帰りたくないとは思えなかったが、彼らにとっては、生存するに、何処が一番ましかを判じていたであろう。1989年、援助者間にも、アメリカが手を引きそうな予感があった。ペシャワールなど、国境地帯の治安は急激に悪化し、それまでの脅迫、誘拐、襲撃に加えて、暗殺も日常茶飯事的に増えた。

ヘクマティヤールの拉致
 歴史に、「もし・・・」は無い。しかし、1990年8月1日は、その「もし」だったような気がする。

 当時、カブールにあったのはナジブラ政権であった。ナジブラは、まだ、1987年、まだアフガンを支配していたソビエトの意向で大統領になったが、それ以前は、秘密警察の長官を勤めた、元医師である。そのナジブラがモスクワに呼ばれたという。たまたま、その日、開かれた会議での話題だったが、政治的判断に長けたアフガン人によれば、「これでナジブラも年貢の納め時だ」ということになるといった。
 彼によれば、政権内に悶着を抱え、モスクワによばれたアフガンの為政者で、生きて帰ったものはいないからだという。会議は終わったが、私たちは冷房の効いた部屋を去りがたく、しばらく雑談をしていた。そこに、ビッグニュースが飛び込んだ。何と、わがご近所の名士ヘクマティヤール氏が、右腕ともいうべき側近ともども、イスラマバードに拉致されたというのである。
 「・・・・」
 私たちは、しばし、沈黙した。ペシャワール派では、最もパキスタンに近く、権力を握っていると信じられているヘクマティヤールが、何故?
 先のアフガン人が、したり顔に解説を始めた。
 「これは、アフガン人を追い出す作戦だ」と。彼は、続けた。
 「パキスタンは、アメリカの援助が減ってきたので、邪魔になりだしたアフガン人を、一刻も早く、追い出したいと思っている。ヘクマティヤールは、難民が動き出さない内に、取り引きをしたいと思っている。その邪魔者を押さえることによって、われわれは追い出される・・・・」
 「でも、あのしたたかなヘクマティヤールが、そんな簡単に、拉致されるの?」
 私たちは、ナイーブな質問を投げた。
 「ベナジールが、何をやらかしたのか判らないが・・・・」

ブット首相
 彼は、パキスタンの若き女性宰相ベナジール・ブット氏を糾弾しだした。
 2年前、自由選挙で選出された、パキスタンの若き女性宰相ブット氏は、その頃、イスハク・カーン大統領との確執が噂されていたが、一般大衆には、まだまだ、人気が高かった。が、「アフガン問題」をめぐる政策については、軍部とも意思疎通も難しい事態にあったことは想像できた。結局、私たちは、喧喧諤諤の議論の結論は得られず、会議後会談を解散した。

 翌日、ベナジールがリ免された。
 そして、イラクのサダム・フセインがクウェートに侵攻した。

 ヘクマティヤールの拉致が本当だったのかどうか判らない、また、本当だったら、どのようにそれから逃れたのであろうか、いずれにしても、ヘクマティヤールは、他3名のペシャワール派ムジャヒディーンボスと共に、プロイラクの姿勢を示し、世界が敵対したといってもいいほどであったサダムの許に、兵士を送ったのである。

 向三軒両隣であった頃と同じ厳しい顔つき、黒いかぶりもののヘクマティヤールの写真が小さく英語メディアの写真にでていた。

 アメリカに翻弄されたのか、アメリカを翻弄したのか、いずれにしても、この人の心の中には、未来永劫消えることのない恨みがあるように思えてならない。

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