判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
アフガンの歌 喜多悦子
アフガン女性の状況・その1――近代アフガン誕生からタリバン崩壊まで

1 抑圧の中のアフガン女性

すばらしい詩人・アフガン人
 アフガン人は、世界で一番やり手の商人という人もいるが、彼らは、また、すばらしい詩人だと、わたしは思う。

 アフガンの多数を占めるパシュトゥ−ン人は、民族と同じ名でよばれる言葉を話すが、彼らのもう一つの言葉もペルシャ語に近いダリ語だ。20世紀初頭の、イギリス人のこの地の「探検」記には、とてもやかましい言葉と記されている。多分、これらは話し言葉で、喧喧諤諤の議論や、歴史や古来の武勇伝を語るにも向いていたのではないかと思う。茶店でくつろぐ人々に、吟遊詩人が古今東西の武勇談などを唱ってきかせたという、ペシャワールのキッサハニ(語り部)バザールなどはその名残であろう。

「わたしはあなたを忘れない」
 アフガニスタン.オンラインという、タリバン時代に開かれたらしいホームページがある。その女性の部を開くと、「アフガン女性の苦悩によせる」という章があって、「わたしはあなたを忘れない(I remember you)」という詩が掲げられている。
私はあなたを忘れない・・・

あなたが選ぶ自由もなく、声も権利も存在すらも認められない時、
あなたに笑顔がなく、喜びも自由もなく、抗うことも出来ない時、
あなたの痛み、苦悩、沈黙、孤独、怒り、失望、叫び、そして不幸、
わたしは、そんなあなたを忘れない・・・
という第一節がある。
 第二節では、女性がはてしない責め、攻撃を受けて力を無くしてゆく姿が詠われているが、そんな時も、わたしはあなたを忘れないと復唱する。第三節は、暗黒の中、星もない闇夜にあっても、涙と痛みを堪えながらも、空に向かって腕を伸ばし、天に向かって尋ねよ、とうたう。そして、何故<ナニユエ>、このような罪が起こるのか、誰がその訳を話そうとも、わたしはあなたを忘れない、と続く。
 次の節は、女性が自ら立ち上がり、足を縛っていた鎖を断ち切り、ベ−ルを焼き、囲んでいた壁を破り、「ちくしょう!!」と、叫びはじめる時、そんな時も、わたしはあなたを忘れないと励まし、さらに、自由を得るため、如何ほどの費用がかかろうとも、女が力をあわし、決してあきらめず、二度と迷わず、苦難をこえて抗い、戦い続ける時を励まし、
 そして終節では、
自らの権利に目覚め、目指すところと希望を得たとしても、
なお、道は厳しく、越えるべき艱難は続く、
自由で、自立した真のおんなに生まれ変わるという、
真の目的に至るまで、戦いは続く、
 とある。
 これは英語だが、多分、原文はパシュトゥ語で、韻を踏んだ、調子のいい詩だろう。
 ところで、このアフガン女性への抑圧は、タリバンという異様な政体によって、外部世界がよく知るところとなったことは事実である。しかし、この詩に先立って、このホームページには、こうも書かれている。
・・・今、アフガンの首都カブールには、何千もの夫を亡くした女性がいる。頭のてっぺんからつま先まで身を覆うことを強いられ、学ぶことも保健医療の恩恵を受けることも、家族のために働くことも禁じられ、禁を犯すと抑圧者が激しく懲ヤクを加える。世界は、この実態を知ってほしい、このホームページから・・・
 しかし、その文章は、こう締めくくられている。
「この、女性への抑圧はイスラムのせいではなく、政治と無知のなせるわざだ」と。

政治と無知のため
 イスラム圏に住んでみて実感したことだが、外部の人間が不自由と思うことや、けしからん!! と非難したくなるような事々が、実は、その地の古来の習慣に過ぎないことも多いようだ。その中には、許しがたい女性への抑圧もあるが、それらも何となく続いていて、それが変わらないのは、単に知識がないせいであり、宗教的つまりイスラム的とはいえないこともあった。例えば、初乳とよばれるお産直後の母乳は、赤ん坊が感染症にかからないための抵抗力となる免疫たんぱくを豊富に含んでいる。しかし、見かけが水っぽく、その後のおっぱいとは様子が違うために、毒が入っているとされ、赤ん坊には与えられない地域が多い。この習慣あるいは伝統は、イスラム圏以外にもあって、単に初乳の医学的な意義を知らないことによるのだ。宗教的な意味はない。

タリバンの登場
 1997年から、世界保健機関(WHO)本部の緊急人道援助部に勤務した時の仕事は、世界の紛争地における保健医療計画実践の現場監督であったが、タリバン政権下のアフガニスタンもそのひとつであった。タリバンとよばれる、何だか、正体不明の集団は、1996年に、首都カブールで、いわゆる北部同盟との決戦後、国土の4/5を武力支配したが、大いなる偏見を述べれば、とても国際社会と取引出来るような方々からなる為政者ではなかったのではないかと思える。私自身の仕事の相棒は、タリバン以前からの保健分野のお役人が主だったので、それほど困ることはなかった。
 外務次官にあたる立場の人など、タリバン高官といえる方々数名と会ったが、いずれも、皆、剛毅で、質素で、素朴で、はにかみ屋であった。が、「国際」という名の西洋の意識とは、とてもとても遠い存在のようにみえた。人権やジェンダーなど、それまで見たことも経験したことも考えたこともなければ、彼らの辞書にもない、ほとんど理解できない概念を押し付ける外部社会との取引に使った手段が女性への抑圧ではなかったかと思う。身内意識が強いこともあるが、彼らは、それなりに自分のおんなは保護している意識があった。

「女性は守られるもの」
 わたしは彼らの理屈を受け入れている訳でない。が、彼らは、彼らが、ちゃんと保護し、不自由はさせていないと胸を張る、彼らのオンナが、彼ら自身と同じ人間だという意識を欠いていることを知った上で、次の働きかけを考えねばならないと云いたいのである。

 こんなことがあった。ある国連事務所の運転手であったため、2、3度お世話になったその青年は、自身がタリバンではないが、彼らがアフガンの国内紛争を一掃してくれることを願っていた。仕事に出かけるため、彼の世話になった時のことだった。

 「あなたは姉妹がいるの?」とわたしはたずねた。
 「妹がひとり・・・」
 「彼女は何をしているの?」
 「家で、家事を・・・」
 「彼女は学校に行ったの?」
 「小学校だけ・・・」
 「あなたは、こうやって、英語も話せ、車も運転しているけど、彼女は、英語が話せる?」
 「いいや。けど、妹はちゃーんと生活している。不自由はさせていない」
 「もし、妹サンが、英語を習いたいとか、車を運転したいと云ったらどうする?」
 「・・・」
 「ねぇ、なぜ、オンナの人は学校にいけないの?」
 「オンナは、家で気楽に(easy)暮らせばいい。男が護る。英語は要らない」
 「でも、あなたのように、妹サンも、外に出てみたいと思うかもしれないでしょう?」
 「そんな時は、オレが連れて行く。何処へでも、つれてやる。問題はない」
 「もし、妹サンが、自分で車を運転したいと思っていたら・・・。あなたのように、自分で街の外を走りたいと思っているかもしれないでしょ・・・」
 「オンナは危ないことをしないほうがいいンだ」
 「そう?では、あなたが妹のように、オンナに生まれてきても、やっぱりそう思う?」
  深い深い沈黙があった。わたしは、それ以上、その青年に質問してはいけないと理解した。

アラーの責任
 局所的ではあったが、国内各地は20年にわたって武力闘争が続いており、地域社会は群雄割拠する前近代的な将軍に支配されてきた。誰でも良いから、国を治めて欲しい、というのが人々の願いだった。南部カンダハールから勃興したタリバンが、ある時期、無法地帯だったアフガンのかなりの範囲ににらみを効かせたために、タリバンに逆らわなければ、ある種の治安があるという一種の奇妙な安定が、戦いに倦んだ人々に受け入れられたのであろう。勢力を広げるにつれて、その本質であった異様さが顕わになったために、人々はすぐにタリバンのいかがわしさを知ることになったが、時既に遅く、彼らは権力を振りかざして人々を蹂躙していたのだった。そうして国際社会との軋轢が深まるにつれた、彼らは女性への抑圧を交渉の手段にしたように思える。それらをイスラム原理主義によるとしたのは、何だか、責任をアラーに押し付けているように思ったりもした。いずれにしても、奇妙な原理主義政体が、彼らから見れば、訳の判らない外と取り引きする手段としては、外部が反感をもつ、「それ−女性抑圧」を強化、つまり政治的判断が多かったように思う。それにしても、無知であったことは否定できない。

 しかも、このような女性の状況は、多かれ少なかれ、世界のいずれにもあった、あるいは現に存在していることともいえる。

 アフガンの80%の人々、つまり大半の女性も、実は田舎に住んでいる。農業や遊牧によって生計を立てているが、このような地域では、女性も、一族が支配する「むら」の中での行動の自由はある。問題は、まるで日本の団地のような都市の貧困地帯や難民キャンプであるが、いずれにしても、過去30年近いComplex Humanitarian Emergency(内戦、地域武力紛争)状態の間における女性の生活ぶり、特に家庭内の状況については良く判っていない。
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK