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アフガンの歌 喜多悦子
アフガン女性の状況・その7――近代アフガン誕生からタリバン崩壊まで

6 タリバンの全国制覇から2001年9月9日まで(1)

タリバンの狭さ
 「国際社会」とは、あらゆる国々が入り混じって構成しているとうけ取っているが、その根幹は西洋の理念・・だ。人権、民主主義、ジェンダー、今、私たちが是としている理念のほとんどすべては西洋社会が主導している。と、断定してはいけないかもしれないし、その理念が間違っているのでもない。それらは、適正な社会を維持するに必須で、個人の尊厳にかかわり、何よりもバランスのある国際関係を保持する基本だ。これらを受け入れずして、近代の国家も社会も、ないとおもうのだが。

 だが、恐らく、タリバンの誰一人、そんなものは見たことはもちろん、聞いたことも、考えたこともないものであったろう。如何に、長年の紛争に荒廃した国、戦いに倦んだ人々とはいえ、狭い独自の世間しか持たない彼らが、一国を支配するに到ったことが間違いだった。とはいえ、そんな政権はタリバンが始めてではない。未熟な国家統治機構、愚かしい権力争い、よく云えば従順、悪く云えば無気力な大衆、お節介なアメリカ??による傀儡政権、それらに続いて、ある日、突然、首都プノン・ペンを支配したクメール・ルージュと似ているとおもう。彼らは、最初、腐敗した権力者を一掃すると思われたが、直ちに本性を現して、横暴の限りと大虐殺に走った。一番の被害者は同胞であった。

女性への抑圧
 ある日、突然、生まれたように見えるタリバンだが、田舎の一宗教勢力であった彼らが短期間に強大傲慢になった後ろには、誰かが何かをたくらんでいたであろう。彼らは、訓練も受けずに核兵器を搭載した大型ジェット機の操縦を始めたようなもので、あちこちに危機をまきだした。国際社会は、その対応にまわったが、まったくかみあわないまま、まるで、お互いに不毛の嫌がらせをしている・・・と思えるほど、女性の立場をめぐる対決が続いた。

 それは、まるで、現在のジェンダーの大家が、織田信長か、蜂須賀小六と、交渉しているようなものであった。タリバンは、彼らにとってはディスポーザブルに過ぎない、せいぜい、自分たちが保護し、護ってやるしかないオンナを、何故、『外』は、自分達と同じよう『一人前』に扱うのか、今でも判らないであろう。タリバンの、女性抑圧が強化されるにつれ、当然、国際NGOの不満は増え、それは国連に向かう。業を煮やすのは、タリバンではなく、いつも国連だった。女性を慮って、国連側がタリバンに改善を申し入れる。が、タリバンには、それは申し入れなどではなく、ムラー・オマル、つまりアッラァーに連なる最高権威者の命令に逆らったと、みなされるのであろう。逆に女性への締め付けは、一段と強化される。「女性は一人で外出してはいけない」は、「援助団体にいるといえども、モスレム(イスラム信者)の女性は、夫もしくは身内の男性に同道されねば出歩けない」となり、やがて、「女性は働いてはならない」となる。

 意地のように、女性の立場がやり取りされた。国際社会の対応は間違ってはいない。私自身、アフガンに生まれていても、耐えられな事態だった。それが、どんどん、強化された。しかも、それに対抗するスベは、誰にもなかった。タリバンが、国際的なルールを理解できないまま、そして国際社会が、タリバン説得の手段を見出せないまま、同じ土俵に立っていない両者の間で、悪循環の非難合戦が繰り返されていた。何時だったが、事態の打破を目指して、国連代表団が、タリバンの本拠地カンダハ−ルに入ったことがあった。議論がかみ合わないのは常であったろう。思うようにならないのはお互いさまのはずだが、タリバンは、国連代表の顔につばを吐きかけた上、一層、女性への縛りを厳しくした。「すべての女性は、家の中に留まり、道行く人から姿を見えないようにせよ」などと。

 実のところ、タリバンの女性迫害強化のディクトは、いつも、決まって、外部国際社会の強硬な要請に対する返答の形で発せられていたような気がする。女性抑圧のedict<通告>は、狂ったタリバンのしっぺ返しのように、私には思えた。

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