判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
アフガンの歌 喜多悦子
アフガンの女性 番外(2)――あれから1年、モロッコで思うこと

遠い隣村

 私は、この1年に3回モロッコを訪問した。いずれも、国際協力事業団(JICA)の仕事に関連している。面積が日本より少し大きく、人口は1/5というお国柄、海岸沿いの首都ラバトと商業都市カサ・ブランカの間こそ100キロ余りで、割合近いが、その他の都市から都市、町から町の距離は数百キロはざらである。異国情緒を楽しむための観光客には面白いドライブでも、この国の住人が、ちょいと隣村まで、などと気軽に出かけられる雰囲気はない。仕事の合間に、観光地を通ることはあったが、モハメッドの頃のアラブ人が作った街、メジナなどに迷い入ってしまうと、日のあるうちに、目的地に行き着けないのが普通だ。城壁に囲まれ、わくわくするであろう面白さが詰まっていそうな人ごみを横目に、大半の時間は、砂漠か、はたまた、荒涼たる山岳地帯を駆け抜けていた。それはそれで仕事ではあったが。つまり、後50キロでアルジェリアという南部はグルミン・エスマラ州や、モロッコ最古のイスラム王朝が栄えた街フェズの周辺、冬には積雪もある山岳地帯である。その隣のメクネス州を含め、これらの、主にベルベルの人々が住まう地域は、これまで、ほとんど外部からの援助がなかった、過疎で辺境の地、などと一言に云うが、例えば、福岡でお産が始まったが、難産・・・、至急、しかるべき施設に送らねばならないといった時、そのしかるべきところは350キロ先、つまり宮崎県まで走らねばならないという事態すら、稀ではない国である。このような環境にある女性の健康を改善するための支援策を作ることが仕事だったが、例えば、今回も、1週間弱で2000キロは、走り抜けたであろう。

 田舎などという生易しい代物ではない砂漠の街から、次の集落は、地球創生の太古から、斯くありなんと思える荒涼たる山岳地帯。何とかザウルスなどとよばれる首長恐竜が闊歩していたかもしれない原始的な光景が、延々と、延々と続く。しかし、突然、現れる村々には、それはそれなりの優しく、懐かしい生き様がある。40度をはるかに超える熱気に、死んだように静かな昼下がりの街は、夕闇が迫る頃には、三々五々、大通りは老若男女でうずまってしまう。ベルベルとよばれる遊牧の人々も、今は、大概は定住している。そして、それらの村々は、一見も二見も、アフガニスタンかパキスタンの村落に似ているのであった。

開放的なモロッコ

 だが、このイスラムを国の宗教とするモロッコは、全体としては、アフガンとはずいぶんちがう。アルコールがご法度でないことは先に云ったが、モスクや国王の墓所などを除けば、外国人なら、それほど服装に気を使うこともない。まずまず、常識的であればあれば許される。それに海辺の観光地では、ビキニ姿の外国人と、民族衣装のジュラバという、フード付き、踝までのたっぷりした衣服姿の、年配の孫連れ現地女性が、浜辺で波と戯れていたりするが、互いに反目はない。それに、男性の髭面もあまり見ない。政府のお役人、医師、ビジネスマン、ホテル従業員など、外観はすべからく西洋風だ。ただ、日本人男児がお風呂上りに浴衣に草履で寛ぐように、リラックスする場合には、襟なし、袖なし、二枚の布を合わせて、首と両手の出る穴があるだけの民族衣装に、バブーシュとよぶ、先のとがった民族色豊かなスリッパ姿も、結構、格好がいい。

 女性の服装である。政府や国際機関、また、保健医療施設で働いている多くの女性は、西洋風であるが、街を歩けば、アフガニスタンで、一時、カタキのように非難がましく云われたブルカ、それに近いかぶり物をまとっている人は少なからず見かける。が、それが、モロッコの人々にも、また、外国人にも問題視されていないのだ。

アフガンとモロッコと

 何故、片や、ブルカが諸悪の根源のように云われており、一方、モロッコは、誰にも問題視されないのか。

 たった3回の訪問、延べにしても1ヶ月にならないモロッコに比べると、私は、アフガン人、それも老若まぜた男性を沢山知っている。その誰もモロッコの人々と比べて、原始的でも野蛮でもなかったのに、何故、全体としては、おそろしく封建的なのか。モスレム敬虔度は、アフガンの方が、やや深いような気もするが、少なくとも、私個人に対しては、見かけの髭もじゃにかかわらず、皆、紳士であった。そして、モロッコでは、物腰、話し方すべてヨーロッパそのものから、アラビアンナイト風、まるで古風な方まで、バラエティがある。

 何が、このふたつの国を違えているのか。何故、アフガンにタリバンが生まれ、アル・カイーダがはびこり、何故、モロッコでは、古風さがあっても、国際社会は気にならないのか。モロッコというアラブイスラムの国をみることで、少し異なった角度からアフガニスタンを見られるような気もした。
 が、実際、何が違うと決めつけるものなど、ありえない。ただ、あえて思うことは、モロッコでは、国全体にベルベルという古来の住民と、7世紀以後、イスラムを持ち込んだアラブという民族が、付かず離れず、それぞれ固有の伝統と文化を保ちつつ、濃すぎない程度の宗教色できたのに対し、アフガンは、一時的にせよ、また、首都圏だけであったにせよ、共産主義体制が、恐らく、人々の想いとは相反する非宗教的社会を押し付けたがために、そして、それが冷戦構造に利用され過ぎたがために、反動として、宗教色が強まりすぎたのではないかと思う。元来、イスラムは生活律であったため、到るところに宗教色が顔を出す。しかし、だからといって、人殺しが許されていることは決してない。イスラムイコール 紛争あるいはテロのようなイメージが出来上がってしまったのは、長い歴史の中で、過去20年ほどのことに過ぎないのだが
 もう一つある。私の偏見でもあろうが、モロッコは、日本と同じように、割合、大らかに外部のものを吸収しそうな雰囲気がある。一方のアフガニスタンは、日本の対極、断固、外来物は拒否したいという姿勢が見える。何でも受け入れて、自分たち風に消化同化吸収してしまう日本とは、まったく違う。
 決して、そんな間単に云ってはいけないことだが、このような姿勢が二つのイスラム国の色合いを変えてきたように私は思える。

Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK