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アフガンの歌 喜多悦子
三人のアフガン女性 その2

シマ・サマール(2)

 12年ぶりに探し出したシュハダ・クリニックのスライドを私たちはそれぞれ異なる、しかし深い感慨をもってながめた。現在、私はアフガンの、また、紛争地の専門家といった風で、人様の前で話す機会が多い。たった10年余り前のナイーブな自分を思い起こすと、本業であった医療や健康についてだけではなく、国や国境、難民や救援、紛争と平和、民主主義、人権といったことごとについて、あえて云えば、何と自分の考えが深まったことだろう。
 シマ・サマールは、しかし、そんな、あえて云えば、甘ちょろい考えの変化だけではあるまい。自分が生き延びるためだけでなく、祖国や自由、人権や女性の自立、社会正義のために文字通り命をかけてきただろう。そして、その挑戦は、戦うべき相手が変わった今も続いている。彼女が、シュハダの字義に相応しい活動をするのは良いが、本当に殉教者になってはいけない。

ふたりっきりの会話

 二日間だったが、わたし達は、夜更け、ふたりっきりで話しこんだ。その時、わたしは、不躾に、一国の元副首相に云った。あまり過激な発言をしないほうが良いのでは・・・と。
 「どんな・・・?」とシマ。
 「あなたの国で、human rights(人権)とかsocial justice(社会正義)などと、云うのは、オンナであれ、男であれ・・・」と云いかけたわたしをさえぎって彼女は微笑んだ。
 「そう。だけど、それが無いから、わたしの国はいつまでの変われない。あなたもそれを知っているじゃない。わたしは、十分注意しつつ、発言している積もりだから・・・」
 今度はわたしがさえぎった。
 「あなたが、ここ東京にいるのと同じように安全なところは、一体、何処?ニューヨーク、トロント、ロンドン。カブールは安全?バーミヤンは?カンダハールは安全なの?ヘラートには行けるの?」
 畳み掛けるように訊ねるわたしに、彼女は、だまって微笑んでいだ。
 「ゴメンナサイ!!こんな話題は、もう、やめましょう。誰かが云わなければならないと、一番判っているのは、あなただものね。」

 アフガンの問題は、ソビエトの侵略だけではない。近世、中央アジアの覇権を競った大英帝国とロシア帝国に蹂躙された。ソビエト侵攻前にも、タリバン以前にも、そしてその後にも、原理主義者は存在している。シマ・サマールは、自分の国の男も女も、目を開いて、外を見なければならないことを知っている。あえて云えば、敵は外ではない、内なる敵との戦いが必要だと、彼女の毅然とした姿勢は物語っている。単純に、アフガンの問題はタリバンに始まり、浪花節的に、タリバンは悪、北部同盟は善、と理解しがちなわたしたちと違って、20年以上の内戦、紛争、混乱を生き抜いてきたアフガンの人々はしたたかである。

 二日目の深更。シンポジウム、メディア、日本にいるアフガンの人々との面談を終えて、疲れている彼女と、廊下を歩きながら、短い対話をした。わたしは、彼女を困らせないように云った。「これはわたしの独り言だから、あなたは答えなくてもいい」と。
 「あなたの国の各地を支配している某々軍閥将軍たちを良い人、という人たちも居るが、失礼ながら、わたしには彼らはbandit(山賊)の親分だと思うが、わたしは間違っていない」
 「北部同盟の英雄も、かつて、ペシャワール時代、わたしの隣人であった原理主義者も、ともにたくさんcommit murder(人殺しをしている)点では同じだ」
 「アフガン人が考える国の範囲は、極端には、一人ひとり違う」
 ・・・・・・
 シマ・サマールは、今は、人権委員会委員長である。
 「シマ・サマールを外務大臣か法務大臣にすべきである。それが出来ない間は、自立できない!!」
 シマは、笑って何も答えない。彼女の部屋の前まで、わたしは、アフガン批判を続けた。彼女は、云った。「オヤスミナサイ、日本のアフガン人」
 アフガンの人材層は、決して、厚くはない。しかも、多数のインテリは国外に足場をもっている。今も、家族を伴わずに、いわは、自分の国に単身赴任している人も多い。彼ら彼女らが、安心して、家族をカブールに、カンダハールに、ジャララバードに戻せる日、その時こそ、アフガニスタンが復興を確実にした証であり、大げさな平和でなくとも、国民が自由の空気を胸一杯に吸える日であろう。

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