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国際社会の現在(いま)―ジェンダー視点から
アフガニスタンまでの道のり (14.01.15)

1. 9.11とアフガン攻撃
 パキスタンの首都イスラマバード発のプロペラ機が出発すると程なくして、アフガニスタンとの国境を超え、ジャララバードの上空に差し掛かっているとの機内放送が流れた。2001年から12年近い月日を経て、私はついにアフガニスタンへと入った。このときが来ることをどれほど待ち望んできたであろうか。
 米国で起きた2001年9月11日の同時多発攻撃をきっかけに始まったアフガニスタンに対する米英軍の侵攻。あのときの私は、言葉にならないほどの激しい怒りで全身が震えた。世界最強の国々が世界の最貧国の一つに住む民衆の上にミサイルの雨を浴びせることに耐えられなかった。何というモラルか。いや、モラルなどひとかけらもなかった。アフガン人を生身の人間としてみなしていなかったからこそ、できた行為であったからだ。当初は同時多発攻撃の「容疑者」とされたアルカーイダやアルカーイダを匿っているとみなされたアフガニスタンのターリバーン政権に対する「報復」攻撃であると主張されたが、その理由はすぐに変わった。同政権が抑圧しているアフガン女性を解放するための攻撃へと。「女性解放」のために、彼女たちが住んでいる地に彼女たちの命を奪いながら攻撃するという、あまりにもお粗末な主張であったにもかかわらず、それまで世界中で忘れ去られた国であったアフガニスタンに突如として注目が向けられ、攻撃は粛々と行われた。
 アフガン女性に対する何たる冒涜か。「女性解放」の名の下で女性を傷つけ、殺すとは。アフガニスタン。私はこの名を耳にするたびに、このときのことを思い出さずにはいられない。言うまでもなく、彼女たちはこの矛盾に気がついていた。自らに加えられる攻撃がけっして解放のためではなく、また解放につながり得るものでもないことを。なぜなら、彼女たちこそが現実を生きる者であったからだ。

2. RAWAを知る
 RAWA(アフガニスタン女性革命協会)の名を耳にしたのもこの頃であった。あらゆる宗教原理主義、外国の占領、軍閥による支配に抗し、女性の権利が当然に認められる民主的な社会を自らの手で作るために果敢に挑戦してきたアフガン女性たちがいることを知ったときの感動を忘れることができようか。同時に彼女たちの存在をそれまで知り得ていなかった自分自身の無知・無関心を恥じた。アフガニスタンを忘れ去っていたのは、私自身でもあった。だからこそ、アフガン女性による闘いに驚きを隠しきれなかったのだ。これ自体、私が彼女たちを見くびっていたからに他ならなかった。私は、抑圧された民は黙って状況に耐え忍ぶわけではなく、闘うために立ち上がるという民衆の歴史を学びきっていなかったのだ。
 RAWAの女性たちに会いたい。そう思い続けて長い月日が経った。言い訳になるが、その間の私はパレスチナ支援や研究、職探し、就職先での諸々の仕事等に時間をとられていたこともあり、アフガニスタンのことに手が回らなかった。しかし、この気持ちだけは変わることがなかった。2011年中頃に現在の職場に異動し、時間的な余裕ができ始めた2012年初頭、アフガニスタン行きを決意した。同年4月に「RAWAと連帯する会」(RAWA連)のメンバーとともに同国のビザを申請したものの、カーブルの治安情勢の悪化を受け、取得することができなかった。
 代わりにRAWAがターリバーン政権崩壊まで拠点としてきたパキスタンを訪問することになった。同国ではRAWA運営のアフガン難民の子弟のためのヘワド高校(実際には小学生から高校生まで在籍)やワタン孤児院を見学し、アフガニスタンとパキスタンの両政府、および国際社会により帰還が求められてきた難民が抱える日々の葛藤や生活環境を垣間見ることができた。アフガン難民の帰還問題は非常に重要な課題であり、今後もRAWA連が続けてきたヘワド高校やワタン孤児院への支援を通して関わり続けたいと思う一方、アフガニスタン国内でRAWAの女性たちに会い、活動状況や課題、社会情勢を聞きたいという気持ちを諦めることはできなかった。

3. パキスタン、そしてアフガニスタンへ
 それから一年後の2013年4月、晴れてアフガニスタンのビザを取得することができ、私はイスラマバードからカーブル行きのプロペラ機に乗り込んだ。国境を越えると右手に真っ白な雪で覆われた険しい山脈がみえてきた。(アフガニスタンの)ヒンドゥークシュ山脈かと乗客にたずねると、ヒマラヤ山脈だと教えてくれた。ソ連軍侵攻時代、同軍撤退後の内戦時代、ターリバーン政権時代、そして米英軍による軍事攻撃にいたるまで、数多のアフガン人が故郷を去るためにこの山脈の下を歩かなければならなかった。私のように飛行機に乗って悠々と国境を渡ったわけではない。山脈を目にしているうちに、私はぐっと歯をかみしめ始めた。危険と隣合わせの状態でひたすら逃げるしかなかったこれらの難民たちの苦難の歩みを想像し得ない私自身の非力さを受け入れ、その痛みに耐えるために。
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