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老親とともに 信子と啓子
卒寿の春(靖子)

 <またひとつ齢かさねて九十歳迎える日々を楽しく過ごさん>
 2007年元旦、母の年賀状にあった短歌もどきの添え書きである。ついこの間まで「まだ八十代よ」と言っていた母の新年に寄せる思いが伝わってくるようだ。1月末に母は新しい年代へスタートを切る。何ごとも‘新たまる’というのは清々しい。除夜の鐘と共にその年のあれこれをリセットして、元旦を迎えるのはとても有難いことだと思う。‘もう九十歳ではなく、まだ九十歳’と感じられるように、私も上手にサポートしていこうと娘は娘で気持ちを新たにしている。
 年賀状を読むのは新年の楽しみの一つである。年末の慌しさの中で悲鳴を上げながら書いたことも忘れて、郵便ポストが気にかかる。それは母も同じらしく、正月2日に訪ねたら「今年はまだ半分くらいしか来ないのよ」と言う。母が出した年賀状は全部で45枚、コンビニのリストからデザインを選んで印刷してもらった。
「字を書くのが辛くなったわ」と言いながらも、毎年宛名は毛筆で書いている。「その人に話しかけるつもりで書くのよ」と、必ずひとこと書き添えるのも母らしい。
 届いた賀状を手にして、「この頃の年賀状は面白くないわね。字体はみんな同じだし、印刷だけのものもあるし」と嘆いている。
「パソコンで作る人が増えたせいね」と私も自分を反省しつつ相槌を打った。
「昔は字が上手な人が多くて、惚れ惚れするような年賀状がたくさんあったのにねえ」
 このところ毎年のように繰り返される母のコメントに刺激されて、私も今年は枚数を限って毛筆で宛名を書いた。下手であろうが、何であろうが、筆を持つと気持ちが落ち着いて快かった。
 かつて家には「賀正」やら「謹賀新年」などと彫られた印判がいくつもあって、干支のゴム印と組み合わせて使っていた。小学校上級生になると、ハガキに印を押すのは私と妹の役目になった。ペタンと押すだけとはいえ、なかなか技術が要るのである。石の印判は子供の力ではうまく押せないことも多かったし、朱肉のつけ方にも工夫が必要だった。乾くまで部屋中に敷き並べた年賀状は師走の思い出のひとこまである。出来上ったハガキは「謹賀新年」が曲がっていたり、半分ぼやけたりと、見栄えのいいものは少なかったが、父は「ごくろうさん」と私たちを労ってくれた。それでも達筆だった父のひと筆で、ぼやけたハガキも見違えるように立派になった。晩年の父からの年賀状も、母の賀状も、「大事箱」と名付けた箱に大切にしまってある。
「この1年をどう過ごそうかと考えているのよ」と母が言う。「時間をムダにしないように何か目標を持たなくちゃね」
私は母の口から‘目標’という言葉を聞いて嬉しくなった。
「ママ、すごい。その意気、その意気!」
「去年は出来なかったから、まずケーキを焼きたいわ」
「ママのケーキは絶品ですものね。また食べたいなあ。私も手伝うわよ」とエールを送ると、母はにっこり笑って「頑張るぞ〜!」とおどけてみせた。
 母、九十歳の新春である。
   初暦知らぬ月日の美しく (吉屋信子)
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