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老親とともに 信子と啓子
最後のお花(信子)

 母はまもなく93歳になるが、父が元気だったころはいろいろと入念なお正月の準備をしていた。父が形式的な風習をいっさい拒否していたので、門松も立てたことはなかったが、料理の好きな母は、このときとばかりに腕によりをかけて我が家オリジナルのお正月メニューを揃えた。母には、父と結婚する前にたいへん贅沢な娘時代があり、父と結婚してからのいわば貧しい生活をお正月には一時忘れて、ちょっぴりの贅沢な気分を楽しんでいたのかもしれない。おせちにお煮しめ、雑煮、美しく巻いた薄味のだしまき。鶏肉を骨もくだいてミンチに何度もかけて小さなボール状にしたものを甘辛く煮た「鶏のがんも」はみんなの好物で、今もその美味しさと食感が忘れられない。
 しかし、次第に買い物や下ごしらえの労力が大変になって、手のこんだ料理を作ることはしなくなってしまった。その上お正月休みに毎日のように来客があるということもなくなったし、おもてなしのスタンバイも必要なくなっていた。
 料理とならんで、活け花も母のお得意芸だった。玄関に、客間に、リビングに、食堂に、広縁にと、それぞれに趣向をこらして活けられた花は見事だった。
 父が死んで、私どもと新しい家に暮らすようになってからも、規模は小さくなったものの活け花だけは母の独壇場である。お正月花に欠かせない水仙も千両も早くから目算をたて「今年は水仙は家のだけでは足りそうもないから、忘れずに買ってね」とか、「千両は小鳥に食べられないように、早めにあみをかけておいてね」。というわけで助手を務める私もほどほどに忙しくなる。
 活け花とはいえ、幾鉢も活けるとなると大変な重労働で、母はたっぷり一日かかっている。昨年も母は「これが最後かしらねえ、これだけいれるの、もうしんどいわ」といっていた。けれど、「平たい大きいの、つぼ型の、細いのも、小さい篭もね。剣山も小さいの二つ出しておいて頂戴」と私に花器を揃えさせて、やる気満々。
 私が適当に選んで買ってきた猫柳やゆりやポピー、金魚草、我が家の水仙と千両をそれぞれの花器にあわせて枝ぶりを眺めながら、もくもくと活けていく。活け終わってさすがに疲れたのか、「お水は入れて頂戴」といって母は座り込んでしまった。「ああ、もうこれが最後やわ」。玄関用の花器にはいったのが、小ぶりながら清楚で美しく早速カメラにおさめた。いつの間にか干支にちなんで、小さな鳥の土人形をお花の傍らに並べている母。お正月を何気なくこうして楽しんでいる母がほほえましく思える。
 「最後のお花」また来年も活けてね。
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