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老親とともに 信子と啓子
ハッピーニューイヤー(靖子)

 見慣れたお正月の風景が年々失われていくのは寂しい。子供の頃、元旦最初の行事は父と一緒に日の丸を掲げることだった。竿は黒の段だらに塗られていて、先端につけた金色の球は初日を浴びてキラキラと光った。隣の門前にも、またその隣にも国旗が掲揚されていて、路地中が華やいで見えた。難しいことは何も考えなかったあの頃、緑の門松に映える日の丸は清々しく、新たな年への期待感に胸を膨らませたものだ。街には日本髪に着物姿の女性たちや、破魔矢を手にした人たちも多く、どこからか‘カーン、カーン’という羽つきの乾いた音が聞こえたりもした。
 「近頃は門松もほとんど見かけなくなったし、お正月らしい気分がしないわ」と母が言う。「今年のおせちは黒豆とくわい、それに高野豆腐だけ」
 さもありなん、と思う。娘の私でさえ夫婦二人分のおせち料理を作る気がしないのである。
 「それにしてもママの黒豆は見事ね」と言ったら「我ながら上出来だと思うわ。今までの中でもトップクラス」といかにも嬉しそうに笑った。今年もまた母の黒豆は、私のところにも妹の家にも均等に分けられて、新年の祝いの膳を飾ったのである。
 明けて2日のこと、正月休みを利用して赴任中の中国から帰国していた甥夫婦が母を訪ねて来ると言う。彼は折にふれ電話やハガキでおばあちゃんを気遣う優しい初孫である。昼食は母が気に入っている近くの蕎麦屋へ行くことにした。一足先に出た妹から‘お店が開いていない’とケータイで連絡が入る。休みは元旦だけと聞いていたのに、さあ大変!開いているのは回転寿司の店とラーメン屋くらいだと言うのだ。回転寿司は前々から母と「一度入ってみたいわね」と店内を覗いてはみたものの、高いカウンターと背もたれの低い椅子に恐れをなして諦めていた店である。母は「大丈夫よ」と言うけれど、腰でも痛めたら取り返しがつかない。そこへ‘何とか背もたれのある椅子に替えてもらった’と再度の知らせである。それではと、いつも母が愛用しているクッションを抱えて出かけることにした。実を言うと母も私も回転寿司に入るのは初めてなのだ。
 背中にクッションを当て、何とか高い椅子におさまった母はにこやかに「さあ、みんな、好きなものを遠慮なく食べてね」と言った。テレビの画面では知っていても、実際に目の前を動いていく寿司が 物珍しいのか、「あれなあに?」「これなあに?」と隣の私に聞いてくる。中には‘ぼたん海老’などと立派な旗を立てたお皿もあったりして思わず笑ってしまう。
 「昔もお正月にはみんなでお寿司屋さんへ行ったわね」
 「そうそう、毎年パパが連れて行ってくれたわ」
 話はいつしかお正月の思い出へと移っていった。当時父方の叔母一家が近くに住んでいて、私たちと3人の従弟妹たちは両方の家を行ったり来たりして育ったのである。いつの頃からか、父はお正月に子供たちを寿司屋へ連れて行くようになった。当然のことながら回転寿司などという店はなかったから、昔ながらのカウンターにずらりと並んで「まぐろ」、「うに」、「カッパ」などと、いっぱしの大人になった気分で注文すると、寿司屋のおじさんが「アイヨッ」と威勢よく応じてくれるのも嬉しかった。今でも従弟妹たちに会うと次から次へと思い出話が尽きないのである。
 「ママ、今日の初体験のご感想は?」と聞いたら「背中も痛くなかったし、なかなか面白かったわ」とごきげんである。家へ帰ってからケーキと紅茶のデザートを楽しんで2008年の新年会はお開きとなった。「おばあちゃん、元気でね」と手を振る甥に「おばあちゃんはこのとおり、まだまだ大丈夫。身体に気をつけて頑張ってね」と逆にハッパをかけている。もうすぐ91歳、母にとっての一風変わった“ハッピーニューイヤー”。
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