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老親とともに 信子と啓子
上書き保存(信子)

 母は、1月17日の誕生日を迎えて95歳になった。父が91歳で亡くなった時、母は87歳だったから、父よりも4歳生き延び独り身となって8年になる。
 祝い事は何かと好まなかった父の影響もあって、仰々しい節目節目のお祝いはせずに過ごしてきたけれど、さすがに95歳はわれら一族にも記録に残る事、ささやかなお祝いの食卓を用意した。といっても、母の好物のお肉料理、しゃぶしゃぶ鍋を柔らかな最高級(?)の霜降り牛肉で、そしておしまいのスープには京都の千枚漬けをそえた。
 「ああ、美味しいわ。お腹一杯いただきましたよ。」母の満面に嬉しさがこぼれる。
 食後のお菓子に俵屋さんの小さな最中を買ってきたのは、手がつかなかった。

 それにしても、95歳は立派な年齢だと思う。普通に暮らし、少しおしゃれもし、習い事にも興味を失わず、子や孫たちの心配までして...これはとても真似はできないと思う。
 しかし、ここ半年ぐらいさすがの母も、何度もおやっ?と私を驚かせてくれるようになった。
 デイにいく日でないのに、「これでいいかしら」と新しいセーターでおめかしをして寝室から出てきたり、「確かにあそこに片付けておいたのに、どこへいっちゃったのかな」と探し物騒ぎが頻繁になる。アリセプト1 を使うようになって2年、「もうお薬の効果もこれまでだわね」、「だんだん駄目になっていくわ、情けないわ」、「もう、あかんわ」と母は繰り返す。「95年も使ってきたのよ、そういつまでも無理はいえないでしょう」と私は冷静を装うが、胸がつまる。70年も80年も昔のことを今見ているように話せるのに、昨日のことは記憶されない、そのもどかしさを一番よく分かっているのは母自身だ。
 ふと、パソコンのwordのことが思い浮かんだ。文書の「上書き保存」という便利な機能がある。人間の頭脳でいえば、いわば記憶の書き換えのようなものだろうか。ファイルに一旦保存されたものも開いて更新も追加もでき、そして保存できる。そもそも頭脳の働きを装置化したものだろうから当然ではあるが、老化によって一旦保存された文書は引き出す事は出来るが、「上書き保存」が出来なくなるのだろう。何となく分かったような気持ちになって、母に「パソコンってねえ、人間以上に賢いのよ。もっとも、ウイルスで病気にも罹るし、夢中で動いてしかも自分の意思は働かないから、お休みも出来ないけれどね」などといいながら「上書き保存」と物忘れのことを話した。母は真剣な顔になって「上書き保存?それは便利やねえ。でも、どこまでも働かされるってわけやね。まあ時にはぼんやりもしたくなるし、いつまでもは生きられん。そろそろお休みしていいってことかも知れんしね」。
 こんな話になってよかったのかなと私は考え込んでしまった。

1 アルツハイマー病の治療薬として開発されたお薬。早期に服用すると病気の進行を遅らせることが出来る。母は2週間半量でテストし、現在は5r(1日)服用している。くわしくは、本欄の「大切なお薬」を参照ください。
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