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老親とともに 信子と啓子
紫式部さん ありがとう(信子)

 今年のお正月は、寒い曇り空がつづき外出する元気もなくて寝正月。もっとも体を休めるには一番よい過ごし方であったかもしれない。
 しかし、母は残りわずかとなった源氏物語五十四帖の和歌との格闘で、ついに越年のおけいこである。昨年の春からはじめて、94歳の誕生日までには何とか仕上げたいと頑張ってきた。歳末の年中行事の活け花も、「もう去年最後のお花活けたから、いいわ」と割愛して書道に専念したものの、浮舟、東屋、手習、の三首が残った。
 おもえば4年前、‘九十の手習い‘といって始めた書道がここまでになるとは、私も母自身も予想しなかったことで、丹精込めた源氏物語五十四帖和歌集がまとまるのは、夢のようだ。何しろ和歌五十四首を、それぞれに練習を数枚重ねた上、下書きをして清書するということだから、少なくとも400枚は書いている。私も、50枚単位で売っているかな文字用練習用紙を買いに、何度も走った。実際‘いろは‘から紫式部までの道のりも決して平坦ではなく、時に「もうやめようかしら」といったり、私も「目や肩や腕も痛くなるのだから、楽しむ程度を超えないでね」といってきた。

 当時のかな文字は、現在の私たちには、読むことも書く事も大変難しい。漢字から派生してできているもののほか、独自の文字もあるようにみえるが、この48文字の存在が果たしている歴史的文化的役割の大きさは計り知れない。特に女性たちの素晴らしい創作活動はもちろんのこと、日本の詩歌史はかな文字なくしては語れないだろう。それにしても、紫式部はどんな字を書いていたのだろうか。
 残念ながら、紫式部自筆本も平安時代に書写されたという源氏物語の伝本も現在まで発見されていないということだ。そのまぼろしの源氏物語の和歌を、母はせっせと書いている。「難しいねえ、ここんとこ、どうなってるのかしら」と首をひねりながら。

 とにかく予定通り、誕生日の前日に書き上げることができた。
 最後の一枚には、平成18年1月17日と誕生日の日付を、そして、94歳と。
 「ああ、できた。紫式部さんにお礼言わんとあかんね。おかげでこんなすごい事できたわ。ありがとう」母は大声上げて喜んでいる。私も涙がこぼれそうになる。
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