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老親とともに 信子と啓子
記憶の糸、連想ゲーム(信子)

 記憶は糸のようにたぐりよせて思い出すのか、カードのようにキーワードで検索しながら探し出すのか。しかし、とても不思議。母の記憶は、遠い遠い昔のことで糸ならばとうに擦り切れていそうなのに、実はふとくしっかりしているのだ。80年以上も前のこどものころのことなど、周りの人物や、風景や、話した言葉までしっかりと記憶している。まるで物語を諳んじるように話してくれる。反対に、昨日今日はおろかわずか数時間前のことをきれいさっぱり忘れている。記憶の糸があまりにも細くメモリーをつむぐこともできなかったのか、記憶のカードがおしまいになったのだろうか。
 しかし、これだけではない。母にとって記憶したいことが優先的にカードに残されているらしい、と思われる。つらい過去や苦しかった思い出は忘れてしまい、年齢を重ねるにしたがって仏様のようになるとはこのことなのだろうか。
 どうやら、原理原則とよべるほどのものはなさそうだけれど、人生の終盤にさしかかって自分の一生をせめて不幸でなかったと伝えたい、そんな気持ちがうかがえて胸がつまる。

 夕べの食卓にだした「からし漬」。秋田名産の民田茄子で漬けられた美味しい漬物。
 みんなの好物で、お喋りが母の遠い思い出におよんだ。
 母が主婦全盛期のころは、毎年からし漬を作っていたのを私も懐かしく思い出す。母の漬け方は、ぬかみそ漬けにした茄子を、からしと麹と醤油で作った床につけるのだと嬉しそうに話しだした。そのうちなぜか、話が京都の曼殊院にまで遠く飛んでしまう。曼殊院の近くに京都で一番美味しいからし漬屋さんがあったというのである。
 これは、いわば記憶の連想ゲーム。しかし、ここまで来るのに時間のかかったこと!!
 しかし、私が驚いたのは母の曼殊院についての、かなりなまでの知識の記憶だった。私も数年前仕事で京都に出かけた折、曼殊院の紅葉を見に行ったけれど、、、、、、はるかに貧弱な知識しかない。
 桂離宮だの、後水尾天皇、枯山水などと話をきいているうち、すっかりからしの気が抜けてしまったけれど、母は満足げに箸を運んでいる。
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