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老親とともに 信子と啓子
備えあれど(靖子)

 母は地震に人一倍敏感である。我々には感じられないようなごく小さな揺れまでわかるらしい。「地震よ」とまず最初に声を上げるのはいつも母である。「そう?」と私たちの感度はだいぶ鈍い。
「これは震度2ね」とか「震度3だわ」とテレビの速報よりも早く震度を告げるのも母だ。「あと、ママに予知能力があればねえ」と冗談を言ったら「バカなことを言うんじゃないの。ナマズじゃあるまいし」と叱られた。
 母が地震過敏症なのは大正12年(1923)の関東大震災の体験に因るものかもしれない。相模湾を震源としたマグニチュード7.9、最大震度6の大地震は関東一円に被害をもたらした。その頃横浜の西戸部に住んでいた母たちの家は傾き、市中にあった祖父の店も被災した。当時母は6歳、小学校1年生である。その日学校は二学期の始業式だけで、早く帰宅した母たち兄妹が外で遊んでいると、突然立っていられないほどの強い揺れが来て、みんな大慌てで家へ駆け込んだという。
「子供たちはみんなおばあちゃんの着物のすそを掴んで、おばあちゃんがあっちへ動けば『キャー』、こっちへ動けば『キャー』と一緒について回ったわ」とその時の様子を語る。
 揺れが治まって外を見るともうあちこちから黒い煙が立ち上っていたそうだ。記録には全壊家屋約13万戸、全焼約45万余戸、死者行方不明者約14万名とある。
「焼け死んだ人の遺体が高く積み上げられていてとても怖かったわ。黒焦げになって立ったまま死んでいる馬も見たわよ」

 もともと母は用心深いというか用意周到で、何ごとであれ事前に準備万端整えておくのがカノジョ流。子供の頃から、遠足というと3日前には持ち物をリュックに詰めて玄関に置いておいたというから筋金入りである。たとえ通院といえども、前日に衣服もハンドバッグの中身も確認して枕元において寝るのは今も変わらない。そんな母だから、非常時に備えてヘルメットや持ち出し袋の用意も怠りない。ヘルメットの中にはご丁寧にも被った時に頭が痛くないようにと手ぬぐいまで詰めてある。
「現金も必要だし、ガラスを踏まないように靴も用意しておかなくちゃ。それに冬だとコートも要るわね。どうせなら毛皮つきの一番いいのを着て逃げようかしら」
「もう88だからどうでもいいわ」などと気弱にならないのは見上げたものだと感心するほかない。でも相手は地震だ。“備えあれば”と言うけれど、曲がって小さくなった身体にリュックを背負い、頭にはヘルメット、杖をついた母の姿など想像したくもない。
神さま、仏さま、どうか大地震が起きませんように!
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