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老親とともに 信子と啓子
寒中見舞い(信子)

 年賀状を書くのはもうやめようかと思ったり、書くことにどんな意味があるのだろうと考え込んだりしつつ、しかしやっぱり年賀状の発売日になると自然に足が郵便局に向いている。これが習慣というものなのだろう。とにかく、昨年同様に350枚購入する。
 これだけでしばらくは安心して手付かず、結局は土壇場にきて大童で大晦日に投函という体たらくを何回も繰り返している。弁解がましいけれど、このことは私だけではなさそうで、元旦に投函したという正直な人もいる。本当はこれこそ年賀状というべきなのだろうが。
 ところが、自分が年賀状を書くことに関しては消極的であるのに、実は、年賀状が届くのを嬉々としてまっている。久しく音信のない友人から、年に一度の便りが届くのは懐かしく待ち遠しいもの。年毎に、家族の不幸や本人の体の不調などと、必ずしも喜ばしい便りばかりではないけれど、それだけにお互いの消息が気になってくる。などなど思いつつ今年の年賀状の整理をしている傍らで、母はせっせと寒中見舞いを書いていた。
 母は、90歳になった年、「これを最後のご挨拶にします」なんて年賀状を書きながら、やっぱりそれから二回、枚数は少ないといえ書き続けてきた。しかし、さすがの今春は賀状はパスして寒中見舞いにしようということになった。いただいた年賀状を読み返しながら楽しそうに、小さなはがきいっぱいにあふれんばかりの長い寒中見舞いを書き、年賀状の来なかった友人にも、「どうしたのかなあ、死んでないといいけど」など言いながら、かれこれ30枚以上になっただろうか。
 投函して1,2週間、次々と返事が届いた。みんなはがきいっぱいに細かな字、絵葉書の余白に「会いたいね、会いたいね」と。「歩けないけど口だけは達者よ」とか。「昔どおりに今も詩を書いてるよ」って!! ご家族と一緒に暮らしている人も一人暮らしの人も少なくとも、はがきの中ではとても元気で、93歳こりゃすごい!! 母もことのほか大きな反響にびっくり。しかし、返事の無かったお二人のことが気にかかる。
 もちろん、私の年賀状事情にも若干の異変はあった。
 それはさておき、母と私は顔を見合わせ「一年に一回、年賀状も寒中見舞いもいいもんよねえ。また、頑張って書こうか」。
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